山下達郎のこと

 フェスティバルホールのこけらおとし公演2days行ってきた。感じたことや思ったことや、沢山あるのだけど、うまく言葉にできない。達郎をちゃんと聴くようになってまだ数年の自分が、なにを言えるわけでもないし、ならばただ自分の感じたことを、と思っても、あまりに膨大で、このことについて書こう、と詳細について思い巡らせても、他のことがふわって横から浮かんできて、そちらに気を取られてしまう、とったあんばいで。達郎のライブが良かったよ、と言っても、多分みんな、そりゃそうだろうな、と思うだろう。だって山下達郎だもの。でもきっと、体験していない人が想像する「そうだろうな」とは全く違うのではないかと思う。わたしはそうだった。しかし、なにが良かったか、具体的に述べたとしても、それを言葉にしてしまうと、あまりにも「ライブ」としては当たり前のことで、陳腐になってしまう。でもその当たり前のことを、信じられないクオリティと真摯さでわたしたちに提供してくれるのが達郎で、それを具体的に語るにはわたしの持っている言葉ではあまりに足りない。
 わたしはRSRで初めてナマの達郎を見て、その次はツアーのチケットを取り、昨年の冬、グランキューブで見た。山下達郎なんていう、もうただ寝てるだけで充分お金入って来そうなビッグネームが、なんて楽しそうに演奏し、歌うのだろうか、というのが、グランキューブでの一番大きな印象だった。ライブハウスでいろいろなバンドやアーティストのライブを、グランキューブなんて比較にならないような近距離で割とたくさん見て、いろいろなことを思ったり感じたりしてきたけど、こんなに強く、なんて楽しそうに演奏するんだろうと印象づけられた人は他にいない。それと同時に、客を楽しませること、満足して帰って貰うことに、ものすごく気を遣っている。そのホスピタリティは、新旧のファンを満足させるために毎回悩みぬいているらしいセットリストにも、3時間ぱつんぱつんにしてくれるライブの長さにも、客が期待しているお約束を裏切らないところにも、また、そんな風に言葉にできない部分にも、現れているのだけど、こびている感じもなく、これやっておけば満足でしょうといった投げやり感もないのがさらに凄い。前述の「とても楽しそう」と「人を楽しませる」をとても自然に両立している。それがわたしの中では、先ほど出した「真摯さ」という言葉と結びつく。音楽そのもの、そして自分の音楽に救われているリスナーたちへの、真摯さ。他にもっと適切な言葉があるかもしれないのだけど、今のわたしには思いつかない。もっと簡単に言うと、バカみたいなフレーズだけど、達郎って本当にいい人ぽいな、ってことだ。
 真摯さ、といえば、前回のツアーで印象的だった、「希望という名の光」。震災前に作られたこの曲が、震災を経て、作ったときの意図とは違う捉え方で人々に広がっていったこと、作り手の手を離れて違う意味をまとい歩き出したこと、おもしろいですね、って達郎は控えめに言ってたけど。クリスマスでセットが夜になって、星が流れて、スクリーンの色味がかわったとき、ああ夜明けだなって思ってこの曲を待った。間奏で、達郎が語った、すべての人の心を救うような曲は自分には作れないけど、自分の音楽を聴いてくれていた、ライブに足を運んでくれていた人たちの力になら、少しはなれるかもしれない、震災前に作ったこの曲が震災を経て異なる意味を持ち始めたが、もう一度この曲を自分の手に引き戻す、全スタッフが皆さんひとりひとりに向かってこの曲を演奏する、というメッセージ。それをまさに体現するような、総毛立つ演奏だった。思いがけず自分の背中に負うことになった、極限の状態にある様々な人の極限の思いを、浮き足立つことも舞い上がることもなく、真っ向から受け止める。達郎と比してなにかを批判することはしたくないとは思うし、これも別に批判している訳ではないのだけど、あの震災以後音楽に関わる人たちの中を席巻していた妙に浮き足だった空気、繰り返される「音楽の力」という浮ついた言葉、その中で山下達郎が言う音楽の限界と「すべての人の心を救う曲は作れない」という言葉は、様々な意味で、達郎が違うステージにいることを強く感じさせるものだった。


 わたしはずっと、自分が音楽やロックンロールを好きだと思っていて、でもあるときから、そうではなかったのだと気付いた。気付いてしまったときからロックンロールやライブに感じる違和感全て、なにかわたしが間違っているからなのだと思ったけど、達郎のライブは、いや間違っていなかった、そうだやっぱりこれが正しいのだ、と思わせてくれた。だからわたしはあのRSRからこんなに彼にのめりこんだのかもしれない。彼の見せるライブアクトこそが、わたしの中での「正しさ」の具現であるような気がするので。



 フェスティバルホールのライブで達郎はずっと、「フェスのコケラ」「フェスのコケラ」と言ってて、その軽快な響きが心地よかった。フェス、というと、わたしなんかは夏フェス的なものを想起するし、あと大阪にはある時期、フェスティバルゲートという遊園地があったので、フェス=フェスティバルホールという認識は多分、わたしの年代には無いのではないか。帰宅してから母にライブの話をしていると、母も、フェス、というので、おお!と思った。そのくらい、フェスティバルホールには縁遠いわたしが、旧ホールに行ったことは勿論無くて、ただあの牧神のレリーフは、幼少の頃から高速道路からよく見ていた。家族で遠出して遊んで帰る車中から、ノエビア鶴田一郎の広告とともに、あれが見えるとそろそろ家も近いという目印でもあった。勝手にシンドバッドにおける江ノ島のようなものかもしれない。違うかも知れない。しかし、それがフェスティバルホールであると知ったのは、もうだいぶ大きくなってからである。