2015/4/16

 ちょっと前に買った、ダーマ&グレッグという海外ドラマのDVDを、ちょっとだけと思いつつ結局ディスク1枚分見てしまった。出会ったその日に結婚した、ヒッピーの両親に育てられた自由奔放な女と、上流階級育ちのエリート検事補の夫婦を中心としたコメディで、NHKで99年〜02年頃放送していたようだ。わたしが小さい頃よく見ていた。どうおもしろいのかちょっと考えて書いてみたけど、こういうおもしろみを説明するとすんごいおもしろくなさそうになってしまうのな!諦めました。とにかくダーマとグレッグがいちゃいちゃしまくっていて、それが嫌みなく美しい。価値観が天と地ほどに違う二人が、あれほどにイチャイチャしているというのがまた象徴的に美しい。というかほんと改めて見ると序盤はほんと7割くらいセックスネタで、記憶にあるよりもえげつない(よくこんなの母と見ていたな…と呆れた!)。何も考えなくても、10年以上経った今まだやっぱりめちゃ笑えるので偉大なドラマだと思う。海外ドラマはこれとレッドドワーフくらいしか解らないけど。

 そういや最近ミストブリーチを買ってみた。前にブリーチした内側の髪の根元が伸びてきたので、そこをちょっとまた色抜きたいのと、前にブリーチしたとこももうちょと明るくなんないかなと思って。3回くらいやったけど、ほんとにこんなんでちょっとずつだが抜けてくるのが不思議だ。ただの透明な液体にしか見えないのに!どんなおそろしい成分が入ってるのかとおもうとゾクゾクすんね!!(もう面倒で素手で触ってる)

 何のバンドでも、一番好きな曲はと言われると結構悩むが、ゆらゆら帝国の中では間違いなく「つぎの夜へ」が好きだ(少なくとも現時点では)。わたしはあまり曲単位でずっぽりはまることはないのだけれど、ドクロズの何もないフリもそうだったが、最近はちょっとその傾向があるらしい。昨日今日はひたすら「つぎの夜へ」が聴きたい日だった。仕事中もちょっと油断すると、坂本さんの何ともいえないいやらしい声で、"真夜中 彼は ひとりじゃない気がした..."と頭の中で聞こえてくるので困った。明日からしばらく自転車通勤なので聴けないけど、お昼の休憩あたりたまらなくなってきっと聴くだろう。なんでこんなに好きなのか解らない。でもこういう、分析できない正の感情に流されている状態は音楽にしろ何にしろ結構好きだし、身を任せておきたい。

2015/4/15(アトリエインカーブの本など)

 仕事で京都行った際に立ち寄った京都国立近代美術館ミュージアムショップで、「アトリエインカーブ ―現代アートの魔球」という本を衝動買い。アトリエインカーブは、今は亡きサントリーミュージアムミュージアムショップでグッズを取り扱っていたことから知り、アールブリュットやアウトサイダーアートと呼ばれるものへの興味の発端となった団体である。わたしは正直、現代アートのことは考えたくなかった。評価や市場が生々しく、リアルタイムでうごめいている感じが恐ろしく思えて。見るのはとても好きだ。自分対作品というただそれだけの間柄で。しかし、それ以上のこと、作品がまとう様々な事情や由縁や作者や状況や社会は、今のところ考えずにおきたいと思っていたし今もまぁそうだ。
 アールブリュットやアウトサイダーアートと呼ばれるもの、に対する興味は、作品そのものの魅力に加え、本当のところを言うと悪趣味とも言える気持ちもあったし、それに加えて、福祉と芸術というのがどのように関係しているのか、という部分にあった。もっと言えば、その関係が、健全なものになり得ると思えなかった。話題になれば市場が賑わうだろうし、商売になると解れば搾取は簡単だろうとわたしは安易に想像した。例えば、生存中は一切作品が世に出ず、どう考えても豊かな一生を送ったとは思えないヘンリー・ダーガーの作品が美術館に展示されているまでの過程で、誰がどこにその対価を支払ったのだろうかとか。勿論それが過去に還元されて作者本人が経済的に満たされるなんてことはあり得ないのである。「描く」と「買う/売る」が同じ時間上に行われたとしても、それを正しく作者に還元する仕組みってどうなってるのかな、というのがずっと気になっていた。「福祉(或いは障がい)」と、「作品を売ること」がどうしても結びつかなかったし、結びつけようとすると、そういう方向に思考が及ぶのである。アールブリュットやアウトサイダーアートについての本は何冊か読んだけど、わたしの読み方が悪いのか、その辺りについて納得のいく答えは見つかっていなかった。今回読んだこの本は、それらの疑問や懸念に対して最も近く最も誠実な答え、というか在り方を示してくれた本だった。やはり「福祉」と「芸術」には矛盾があって、それに最も先進的に見えるインカーブの人たちが苦しみ悩んでいるということが、飾り気のない淡々とした文章で綴られていた。繰り返し述べられる、アールブリュットでもアウトサイダーアートでもましてや障がい者アートでもない、現代アートとしてのみ扱われることを望む、アーティストとして自立することが目標である、という方向が確固として示されていることは、何よりスッと納得がいったし、ものすごく正しいと感じる。それが生む苦しみや根源的な矛盾をそのまま受け止める誠実さも震えるくらいすごいと思った。
 フォーラムの書き起こし部分もあって、そこで現代美術・美術館界の著名人たちが述べる様々な意見も、たいそうおもしろく、合点のいくものが多かった。良い本でした。少し前の本なので、いまどうなっているのか気になる。

 今日は仕事で良いことがあったので、浮かれて帰りにハーゲンダッツを買ったが、結構寒くてアイスを食べる気にはなれない。使用許可を得るために送る書類は、わたしにとってはファンレターやラブレターのようなものだ。おもしろい!いい!と思うから申請するのだし、本も送るから、自分が作ってるものも見て貰える訳だし(まぁ実際は上司が事務的な文書を送っているだけなのだけど!)。使っても良いよ、と回答をくれるだけでも嬉しいが、コードクまでしてくれるのはもうほんと最高にうれしい。使わせてもらったのもう1年以上前なのに覚えててくださったのもうれしい。ハーゲンダッツはもうちょいぬくくなってから食べよう。

2015/4/07

 TVの録画しているHDがいっぱいになっていたので整理していると、もうめくるめく「必殺仕事人」「子連れ狼」の嵐で我ながら呆れた!見たものは消してるからほぼほぼ見てないのばかりで、これいつになったら見終わるのやら。素浪人花山大吉も何本かあったけど、1〜2話しか見てないのでもういいや、と思って削除。あと隠密奉行朝比奈も見てないの削除。朝比奈は北大路欣也で結構好きだったけど、まぁ今は銭形平次北大路欣也分は足りてるからいいや。
 その流れで何となく録画してた映画「嗤う伊右衛門」を見てしまう。京極夏彦原作、唐沢寿明小雪のやつ。基本的にわたしは原作至上主義者なので、映画化とかドラマ化とか漫画化とかそういうのは大抵好きにはならないのだけど、嗤う伊右衛門は予想外に良かった。原作の小説、かなり好きなので、そう思えることが意外である。お岩さんメイクしても小雪は美人で、その辺説得力なかったけど。副題、「Eternal Love」で最初ワハハて思ったけど、よく考えたらそういう話だった。もう頼むからお前らもうちょっとちゃんとお互い会話して普通に仲良くしてくれや、っていう。あと思っていたよりグロくて(年齢制限あるやつだった…)、映画館で見なくて本当に良かったと思う。顔の皮剥がすシーンは、原作知ってるから、来るぞ…来るぞ…と覚悟の上ではあったが、ひとり静かにギャアアと目を背ける。痛い。しかし原作読み返したくなってしまったな。忙しい。

2015/4/06

 最近頭の中でいろんな記憶がカオスだ。仕事でよく新聞を見るのだが、ぱっぱっと見出しを追いながら次々とみていると、そういうカオスな記憶と視界に入る膨大な情報が、よく解らない具合に時々結びついて、一見まったく関係なさそうな思考や別の記憶や経験や感情が呼び起こされ、いちいちそれがなぜ結びついたのかやどういう関係があるのかに思い巡らす暇も無いのでそのままスルーするのだけど、後から覚えている範囲で振り返ると、ああこういうつながりね、と解って時々にやりとする。のが楽しい。だいたい酷く下らなく、個人的に過ぎる。繋がりがよく解らなくても、断片的に湧く思いをわたしは時々過剰に大事にしたくなる。(それもだいたいがとても下らない)。
 ドクロズの「何もないフリ」をここ数日で10回近く聴いてる。時々ツボにはまってこういう状態になる。もの悲しいメロディと、ぶっきらぼうな歌ごえと、"むずかしい話など 聞きたくないのさ お前が死ぬのなら 死んでもいいよ" のフレーズに、なんだかよく解らない安心感に似た感情というか、許されたような気持ちというか、なんしか非常に心地よい脱力を感じる。
 難波の、喫茶アメリカンに行きたいな〜と思いながら面倒くさくて会社近くの上島珈琲で仕事して少し本読んで帰る。昨日やっと、図書館で借りてた「我、美に殉ず」を読み終わる。江戸時代の日本画家が主人公の、中編×4みたいな単行本だが、文章が方言ばりばりの口語の一人称で、えらい読むのに時間かかってしまった。取り上げられてる画師は、久隅守景、英一蝶、伊藤若冲、浦上玉堂。伊藤若冲すごい好きなので、もしかして読んだら嫌な気持ちになるかなと思ったけど、わたしの抱いているイメージとはかなり異なってはいたが、不快にはならなかった。おもしろかった。島流しにあう英一蝶の章が一番好きでした。

2015/3/31(大滝さんのこと)

 大滝詠一さんが亡くなってから、一度も自主的に大滝さんの音楽を聴いてはなかったのだけど、今朝はどうしても、「おもい」が聴きたい気分で、悩んだすえ、とても久しぶりに大滝さんを聴いたのだった。
 大滝さんを好きな人はすごい沢山いて、そのマニアックさに圧倒されてわたしは好きだなんて正直大きな声で言えないのだけど、なんだかもう、本当に参ってしまう。なんてうっとりとした声で歌うのだろうか。声から音から香りが立つような。耳から入った音が、身体の中を満たして、内側から五感を刺激する。声が、音が、言葉が、さまざまなイメージを呼び起こすので、それをひとつひとつ確かめながら、なぞりながら、耳を傾ける。
 「おもい」や「それはぼくぢゃないよ」や「乱れ髪」のやわらかくあまやかな風景は、わたしにとってのユートピアである。松本隆の詞もすごく好きだ。あの音楽の中に見えるやわらかい光を、夢でもまぼろしでもいいから、いつか感じたい。

 以下は余談である。

 わたしが持っている大滝詠一さんのアルバムは、「大滝詠一」と「EACH TIME」のたった2枚だ。もう亡くなってしまった大滝さんは、随分前から自分でうたうことはしなくなっておられたのもあり、この世界に残された大滝さんの歌声は、わたしにとって石油とかそういうものに並ぶレベルに大切な限られた資源である。好きだというのになぜアルバム持ってないの、とばかにしたように言うひともあるが、わたしはわたしの一生を通して、大滝さんの音楽との出会いを楽しみ続けたい。だからおいそれとは買わないし、むやみやたらと聴いたりもしない。欲求が最大限に高まる瞬間にのみ、没入できる精神状態のときのみ、聴きたいと思う。それが「好き」でないならば、冒頭に書いたとおりわたしは大滝さんのことが好きだとは言わないし、他のどんな音楽も好きだとは言わない。音楽にしても、作家にしても、もうこのバンドで聴いたことが無い曲・読んでない本がない、という状態にわたしはすごい恐怖を覚えるのだが、他の人はそうでもないのだろうか。好きであればあるほど、全てを手に入れてはいけないような気がしてしまう。手に入れた先にはまた違う楽しみがきっとあるのだろうとは思うが(そうじゃなきゃやってられない)、わたしにはまだよく解らない。いつか解るだろうか。

2015/3/29

 「残酷な神が支配する」(萩尾望都)を2週間くらいかけて読み返していた。大好きすぎて、改めて何か感想を書きたいとかもはや思わないのだけど、読み終わったあとにはいつも、いろいろな感情があふれ出る。愛することと、暴力、憎しみ、支配、の混乱。文庫版全10巻という長さをかけて、描かれなければならなかった被虐待児のグロテスクなトラウマと、さまざまに歪な愛と家族のかたちと、不完全な人間たち。「子供は親の神への供物であり、親の人生の供養として存在する」のあたりは、萩尾望都の作品のいろんなところに見られる感覚だなあと思う。
 なんとなく、twilogで「残酷な神」で検索して見ると、「〜読み終わって愛について考えてる」みたいに何度か書いてて、変わらないな〜ってちょっとおもしろかった。
 このインタビューおもしろかった。
取材◆萩尾望都に聞いてきた (1/3) / KENBUNDEN – 見たい、聞きたい、伝えたい 取材◆萩尾望都に聞いてきた (1/3) / KENBUNDEN – 見たい、聞きたい、伝えたい

 あと「エンダーのゲーム」も読んだ。映画化されてたやつ。SF名作として名前よく見るけど、映画化されたせいで逆に手を出しづらくなり(新版の表紙がラノベぽくて恥ずかしい、あとミーハーみたいで恥ずかしい、という恥ずかしい理由で)、ウーンと悩みながら結局古本で旧訳版購入。好きか嫌いかで言うと好きではないかな!て感じなんだけど、おもしろいのはすっごいおもしろかった。ハーこれすごいな!!という読後感。なんだろう、これ以外の感想が特に思い浮かばないが。終盤がとにかくすごく良い。あと全体的に映像化するのはすごく見応えがありそう。映画版もそのうち見てみよう。あと87年に出た訳なせいか、いろいろ文章が独特で味わい深かった。こういう翻訳調の文章好きだ。でも新訳版も読みたくなったな。あんまり今まで翻訳小説の訳って気にしたことなかったけど、読み比べるとおもしろいのだろうな。また今度新訳で買ってみよう。続編もいろいろあるそうなので楽しみである!

2015/03/25

 通勤時はipodでアーティストごとのシャッフルにして音楽を聴いているが、朝「今日はこれ聴こう」というのがハッキリしている時や、なんとなく再生した音楽がすごくハマるときというのは、調子が良いというか、精神的にも安定している。逆に、何が聴きたいのか解らないとき、何を聴いてもコレジャナイ感があるときは、多分なんか調子悪い。ここ数日ずっと後者で、 Prince、佐野元春、Acid Eater、ドレスコーズ/毛皮のマリーズTOKYO NO.1 SOULSET奇妙礼太郎ティーンジェネレイト、サザンオールスターズ、女王蜂、ジザメリ、The XXとまとまりのない選択でフワフワと聴いている。どれも1〜2曲は「これだ!!」と思うんだけどなんかすぐ、違うかった…てなる。むずかしい。ティーンジェネレイトとジザメリが比較的マシだったので、英語の曲がいいのかな。こういうときのために、アーティスト関係なくめっちゃ好きな曲だけのプレイリストを作っておくべきかも知れない。プリンスだとPlay in the sunshine、元春だとNight Lifeにシティチャイルド、ソウルセットならロマンチック伝説やヤード、女王蜂なら無題や棘の海やデスコ。

 母が京都で仕事してるときは、わたしの方が帰るの早かったから買い物して夕飯作ってたんだけど、最近は母の方が早いから、スーパーも料理もさっぱりしなくなってしまった。twitterの自分のログ、画像と動画の所からだと延々過去にさかのぼれることに気付いて見てたら、去年の3月やたらイチゴジャム作ってたのだな。スーパー行かないとイチゴの値段も解らない。なんか悲しくなって、今日帰りにスーパー2件寄ってみたら2件目で1パック299円(税込)で特売してたので、キャー!と思って3パック買ってジャムにした。お一人様4パックまで、と書いてあったので3パックにしとくのがわたしの気の小ささである。鍋にきらきらと転がるイチゴがきれいですきだ。ぐつぐつ煮るときの、血の池地獄のような景色と、そぐわない甘いかおりが好きだ。