2015/4/06

 最近頭の中でいろんな記憶がカオスだ。仕事でよく新聞を見るのだが、ぱっぱっと見出しを追いながら次々とみていると、そういうカオスな記憶と視界に入る膨大な情報が、よく解らない具合に時々結びついて、一見まったく関係なさそうな思考や別の記憶や経験や感情が呼び起こされ、いちいちそれがなぜ結びついたのかやどういう関係があるのかに思い巡らす暇も無いのでそのままスルーするのだけど、後から覚えている範囲で振り返ると、ああこういうつながりね、と解って時々にやりとする。のが楽しい。だいたい酷く下らなく、個人的に過ぎる。繋がりがよく解らなくても、断片的に湧く思いをわたしは時々過剰に大事にしたくなる。(それもだいたいがとても下らない)。
 ドクロズの「何もないフリ」をここ数日で10回近く聴いてる。時々ツボにはまってこういう状態になる。もの悲しいメロディと、ぶっきらぼうな歌ごえと、"むずかしい話など 聞きたくないのさ お前が死ぬのなら 死んでもいいよ" のフレーズに、なんだかよく解らない安心感に似た感情というか、許されたような気持ちというか、なんしか非常に心地よい脱力を感じる。
 難波の、喫茶アメリカンに行きたいな〜と思いながら面倒くさくて会社近くの上島珈琲で仕事して少し本読んで帰る。昨日やっと、図書館で借りてた「我、美に殉ず」を読み終わる。江戸時代の日本画家が主人公の、中編×4みたいな単行本だが、文章が方言ばりばりの口語の一人称で、えらい読むのに時間かかってしまった。取り上げられてる画師は、久隅守景、英一蝶、伊藤若冲、浦上玉堂。伊藤若冲すごい好きなので、もしかして読んだら嫌な気持ちになるかなと思ったけど、わたしの抱いているイメージとはかなり異なってはいたが、不快にはならなかった。おもしろかった。島流しにあう英一蝶の章が一番好きでした。