高取城跡

 ぐねぐねした山道を上がっていくと、突如苔むした石垣が現れる。高取城という、山城の跡である。天空の城としてえらい有名になった、竹田城に、勝るとも劣らないと連れていってくれた母は言う。奈良のマチュピチュだそうだが、マチュピチュはおろか竹田城すら行ったこと無いのでその辺りはわたしには何とも言えない。さらに、城の知識とかないので、一体どういう構造になっていたのかとか全然解らないのだけど、とにかく、迷路のように石垣が続く。その上の、台地のようになったところで、ハイカーたちが思い思いに憩っている。
 しっとりとした苔をまとって、石垣は、山に呑まれていく。よく解らんけど、昔の人は、わたしが先ほど登ってきた道を、この城まで同じように登っていたのだろう。馬も、歩いていたのだろうし、おとのさまを乗せた駕籠も運ばれていたのだろう。あの石垣を、運んだ人夫たちがいて、それはそれはきつい労働だっただろうし、そもそも石垣の上には城があったのだから、それを建築するのも相当な重労働だっただろう。明治になって城は解体されて、残された石垣はどんどん森に呑まれていく。人間のいとなみが、あんな風に自然に征服されているのを見て、美しいと思ううっとりとした感情は、抗えない圧倒的な力にひれ伏す快感に似ている。友ヶ島の戦争遺跡でも思ったが、結局なにをしたって、最後にはすべて呑まれてしまうのだし、そうであってほしいと思う。
 久しぶりに歩く山道は、雨の余韻でしっとりと柔らかく(というかぬかるみ)、下草が青々としげり美しかった。
 城下町である高取町の土佐街道あたりでは、なにやら町屋のひな巡りとかいうイベントが催されていて、けっこう賑わっていた。町の人たちは、とても親しみやすく気さくで、雰囲気のいい町だった。土佐の人が昔、労役でつれてこられ、そのまま帰れなくなって定住した町だそうだ。わたしが住んでいる堀江も、土佐藩ゆかりの土佐稲荷神社があったり、鰹座橋という地名や、あと土佐堀っていう地名もあるが、高知とは関係が深いので、親近感!道の駅で、高菜と芽キャベツとツクシと大根の皮の干したやつを買う。ツクシって昔はよく取りにつれてってもらってたけど、こんな風に売ってるもんなんだな。家に帰って母がたいてくれたが、淡い赤銅色がきれいだ。芽キャベツもおいしかった。


そんなに沢山ないけど、一応撮った写真はこちら。
https://plus.google.com/photos/107440715448053481392/albums/6128687291450355249

 ふもとにある寺、特に行く予定はなかったんだけど、母の友達が石仏のいろいろなあれに関わってたと聞いて行ってみた。インドのハンセン病とか教育支援みたいなのをしてるらしくて、インドで作られた石仏が多い。正当に報酬が支払われていると仮定すると、さぞ職人さんたち潤ったと思う。すばらしい。巨大な観音像があって、あのスケールはなんだか、百億の昼と千億の夜萩尾望都版の最後を思い出させる。不気味であったが、近づいてみると、マーブル模様がとても美しい石だった。あとどっかにあった涅槃像が、布団かけて貰ってて母と笑った。完全にこれは入滅というより睡眠。いろいろ見所のあるいい寺でした。