今思うミドリのこと

 ミドリって、活動してた頃はどうしようもないくらい大好きだったのに、解散してからぱったりと聴かなくなっていた。もう一生聴かないのかもしれないと思っていたくらいだった。ところが先日フッと気が向いてipodに入れてみて、今日もういちどフッと気が向いて聴いてみると、あまりの懐かしさとかっこよさに会社に行くこと忘れそうなくらい。わたしが普段聴いている音楽は、8割くらいは「代わりのある音楽」だと思いながら聴いている。もしそのバンドが活動を辞めても、すぐに代わりを見つけるだろう、だってこの世の中星の数ほどバンドがある。変な執着も、思い入れも、できるだけ減らして身軽に生きたい。でもミドリはそうじゃなかったんだなあって、今更ながらに思った。ミドリは、ミドリだけだ。
 あまりに強烈な数年間だった。あの時代を、学生という身分でミドリといっしょに生きれてしあわせだったと思う。ミドリが十年二十年続くバンドではないことは誰の目にも明らかだっただろう。その短さすら愛おしい。見えないけどひしひしと感じる「残された時間」に追い立てられるように、食らいついて見ていた。繰り返しになるが、それを自分が目の当たりに出来たこと、自分に深く刻み込めたこと、全力で、全身全霊で彼らのライブを受け止めていたこと、自分がそれが可能な(心身共に)状態だったことが、本当に嬉しいし幸福だ。
 この先もし後藤まりこでないミドリのような音楽を知ったとしても、好きにはならないんじゃないだろうか。わたしの人生で、ミドリのような音楽を好きになるのはたった一度だけだ、そういう気がする。
 メジャーデビューして、ライブの動員が増えて、そういう時期に、どうせおまえらすぐにわたしらのことなんて忘れてまうんやろ!と怒鳴ったまりこを、まだ強烈に覚えている。そんなことない!と涙ながらに思ったものだが、そんなことなくもないのだろうということは今になるとさすがにわかる。それは罪悪でもなんでもないし、後ろめたくもない。だってそういうものだもの。こんな風に、わたしもミドリなんてバンドなかったかのように生きている。だけど、ミドリを思い出す、ことが無くなることは無いだろう。聴いて、感じることは変わっても、あの頃感じていたことを、忘れることも無いだろう。