7月2日

 仕事でした。
 全体的にイライラむしゃくしゃする日で、駄目だった。人に、あたったらあかんな。このイライラは今日で終わりや。明日はまったく違う日だ。おれの気持ちも考えてよ、と言われるごとに、ならわたしの気持ちも考えてよ、と思うけど、考えさせるほどの材料を人に与えないのはわたしなのだ。わたしは人に、解ってもらう努力を放棄して、我慢して、根がお気楽なので基本的にすぐ忘れるけど、たまに振り切れて、結果的に迷惑をかける。わたしが飲み込んできた言葉たちは、わたしの中に凝縮されてブラックホールのようになっている。それを普段は何とも思わないけれど、たまにとても苦しい。わたしが死んでもそのブラックホールは残るのではないだろうか。もしかするとそれが、幽霊のようなものになるのかもしれない。なればいいなと思う。
 会社の事情とか、わたしの立ち位置とか、いちから人に説明するのは非常に困難だ。そしてわたしはその説明の中で、「でもね」とか「それはね」とか、そういう言葉を挟まれたくない。ましてや不条理に妬まれたり、思考停止な「辞めたらいい」を食らったり、そういうのもごめんだ。ただわたしは「そうなんだね」と、いたわられたい、あとできれば多少の気分の上下をやわらかに受け止められたいなのだけど、わたしの説明下手のせいでその「そうだね」の裏で「こいつバカじゃね」と思われたくもないし、共感を他人に強要したくもないので、なんかもう何もかも別にいいです、というところに落ち着く。
 人のはなしを聞くのは難しい、と自分のことを考えてもとても思うな。わたしも上手に聞くことはできていないけど、インターネット上であれ、直接であれ、間接であれ、どんな言葉を目にしても耳にしても、その人のことを嫌いになったり軽蔑したり引いたりはしないしずっと好きでいつづける、というくらいに大切に思っている人は何人かいて、ただじっと見守るしかできないけど、そういう気持ちが伝わって、少しでもその人が安心できればいいのにな、と思う。でも、そう思っているだけだとただの自己満足だね。むずかしい。