桑田佳祐

 桑田佳祐の特番を見た。病後のせいか最近あまり姿を意識的に見ていなかったせいなのか解らないけど、老けたなあーと思った。紅白は、なんだか腹立たしくて見ていなかった。毎年紅白つけてる母も、同じことを言って去年の年末はTVすらつけていなかった。波の見えるテラスのようなところに腰掛けた桑田は、とても心細かった。わたしがサザンを知ったとき桑田はすでにおっさんで、若い頃の武道館ライブのビデオなどを見ながら、なんてこの時の桑田はツヤツヤしていて色っぽくてかっこよくてチャーミングなんだろう!どうしてわたしはこの頃生まれていなかったんだろう!悔しい!と思っていたのだけど、わたしがリアルタイムで見ていた40代の桑田も、今思えば若かったのだ。55歳。なんてこった。わたしも年を取るはずだ。桑田ももう50歳か、と思ったあの頃から、もう5年も経っている。
 活動を、復帰をせかさないであげてほしい、と思う気持ちがとてもある。初期であれなんであれ、癌は癌で、身体的にうまくいっても、精神的なダメージというものは小さくはない。再発の不安もこれから一生つきまとってくるだろう。彼の背負ってるものはたぶんとても大きくて、それゆえに療養も十分にできず、消耗していくのならばあまりにも悲しい。しかしその一方、桑田を見たいという気持ちも抑えられない。既に何度か見てて、また見たいねえ〜と言ってる間に人は死ぬ、というのは、わたしの少ない人生経験を顧みても、忌野清志郎という例がすぐに思い出される。復帰したねえ、次の夏フェスで見れるといいねえ、と思ってたらあっさり死んでしまう。もし、清志郎の癌の再発がどうしようもなく避けられないことだったならば、あの暫しの復活は、本人にとってもファンにとっても奇跡のような機会だったのではないだろうか。そう思うとわたしは焦燥感でいっぱいになってしまって、でもこういう気持ちこそが、桑田を不完全な復活へ導くものなのかもしれない。桑田は死なない、なんてことはない。番組中に出てきた、原坊が撮影した病床の桑田の写真が、想像以上にショックで、胸に焼き付いている。やっぱり、ゆっくりしてくださいとしか。

 わたしは色んな音楽を好きになって色んな音楽を聴くけれど、好きなものは移り変わる。ひとつのものに固執しなくても、いくらでも楽しい音楽が沢山あるので、タイミングがあわなければ、自分の心情があわなければ、どんなにあるとき好きだったとしてもライブに行かなくなってしまったり、情報を追いかけなくなったりする。そうして少し離れてしまった間にも、人は年を取るし、桑田のように老けていくし、変わってしまったり、変わらないでいたり、でもそのしばらくののち、ふっとまた見たときに、以前見たときから経ってしまった時間がすべて消滅してしまったかのような熱い気持ちを持てたときの、嬉しさや楽しさ、喜びって、すさまじい。先日行ったライブで、そういう気持ちになれたので、とても幸せだなあと思った。変わったり変わらなかったり。そのすべてが良い方向にかみ合うことが、素敵な年の重ね方だな。

 桑田の特番は土曜日放送で、彼氏に録画してもらっていたのを日曜に見たのだけど、見る前に、山下達郎のサンデーソングブックを聴いてて、その中で原由子竹内まりやへの音声コメントがあった。原坊は、桑田佳祐のことを「桑田」と呼び、竹内まりやは返答で、桑田のことを「けいちゃん」と呼んでいた。どちらも素敵だった。原坊の「桑田」って呼び方は、昔からとても好きで、見たり聞いたりする度にふわっとする。達郎夫妻とも仲が良さそうだな。この日のサンデーソングブックは達郎さんとまりやさんの夫婦放談だった。ゲストコメントが多すぎてあまり放談な雰囲気がなく残念だったが、原坊のコメントはとてもふんわりした。