サントリーミュージアムが終わった



 12月26日で、サントリーミュージアムが閉館した。最後のポスター天国が始まってから、毎週末のように出かけた。ギャラリーを見たり、IMAXを見たり、何もせずにエントランスの展示や海を眺めて帰ることもあった。ただできるだけたくさんの時間、あの場所にいたかった。そして26日の最終日。館内はどこか浮き足立っているようだった。わたし自身もそわそわとして落ち着かなかった。ギャラリーを見ながら、今までこの場所で見たいろんな展示、色んな構成を思い出していた。ここにはあのときこういうものがあった。この展覧会ではここは壁になっていた。次はどんな風になるんだろう、という、その「次」は訪れない。受付スタッフによる展示解説、多分最後である17時の回を聞いた。スタッフの声に段々涙がまじってくる。でも最後まで凛とした綺麗な解説だった。IMAXは18時の回を見た。わたしはずっとサントリーミュージアムはギャラリーしか見てなくて、IMAXが実は凄いと気づいたのは今年の夏ごろの話である。それから7〜8回は見に行った。最高に出遅れた感はあるが、あの美しさを閉館までに知ることができてよかったと思う。またギャラリーに戻り、19時過ぎに館をあとにした。さすがに人も引いたエントランスは、一眼レフを持った若者や、プレスの腕章をした人などが思い思いにカメラをまわしていた。

 サントリーミュージアムがどれほどすばらしい美術館であったかということ。それは閉館がアナウンスされたあたりにすでに書いた()。この、収益のあがりそうにない、しかし文化的に計り知れない意味のあるサントリーミュージアムという事業、これを大阪の地で16年間続けてくれたサントリーに心から感謝したい。そして、そのような折角の文化貢献を、受け止め切れなかったことを、支えきれなかったことを、大阪市民のひとりとして心から申し訳なく思う。

 

 これは余談だが、わたしが美術を好きになったのはふたつの要因がある。ひとつは家が仏教美術にかかわる仕事をしていたことで小さいころから仏像やそれに類するものに親しんでいたこと、もうひとつは平成9年に開催された京都国立近代美術館ウィリアム・モリスの展覧会を母に連れられて見たことである。後者は小学生だったわたしに非常に強い印象を残したのだが、近代デザインの祖から先に繋げる道筋は当時のわたしには無かったので、モリスはモリスだけの独立した経験としてわたしの中にずっと燻っていた。比して前者の仏教美術は、仏像から日本画へと滑らかに広がり、最終的に文化財を専攻する大学生になるという点に結実する。というかその「なる」という所に結実してしまった。
 その大学1回の2005年秋、朝の授業をさぼって何となく出かけたサントリーミュージアムのアール・デコ展で、わたしはわたしの中のウィリアム・モリスと再会を果たした。あの時感じた興奮が、あれから胸に燻っていたぼんやりとした思念が、はっきりと形や理念を持った先人の営みとしてわたしの前に立ち現れた。無自覚に惹かれていた日本画仏教美術の要素、振り返るとずっとあの1997年のモリスから繋がっていたのだった。あのときわたしに新しい世界へ繋げてくれたアール・デコ展は、そしてサントリーミュージアムは、わたしにとって特別すぎるほど特別だった。 

 あと、学生時代にしていた展覧会関係のアルバイトで、サントリーミュージアムで働いたことがある。今思い出せるのは5つくらいの展覧会だっただろうか。前述のような思い入れがある身にとって、その経験がどれほど楽しく貴重だったかは言うまでもない。さらに、外部スタッフという立場から見てもサントリーミュージアムはすばらしい美術館だった。特にあちらのスタッフの立ち振る舞いや接客は、近くで見ていて惚れ惚れするほど美しくそつの無いもので、そういうところにもサントリーという会社の意識の高さが見て取れる。ほかの美術館・博物館でも働いたが、このあたりは国公立の美術館・博物館には絶対に真似のできないところだ。

 心地いい空間と質の高い展示、サントリーミュージアムはその両方を高いレベルで維持する関西では稀有な美術館だった。わたしたちはそれを失った。もう二度と戻らない。この喪失が、より多くの人に染み渡るのを望みます。文化を失わないとその大切さに気づかないならそれは今しかない。この喪失をばねに、いつか、10年でも20年でも先、大阪が文化的に成熟した都市になりますように。

 16年間本当にありがとうございました。