潰れたカレー屋とハガキ

 家の近くにカレー屋さんがあった。仕事の帰り、駅からの帰路、その前をよく通っていた。出来たのはそんなに前じゃない。小綺麗な店で、水商売あがりっぽい妙齢の女の人が始めたようだった。いつもお店は空いていた。お客さんがいるのは滅多に見ない。わたしは1度だけ行ったけど、そのときも他の客はいなかった。客のいない店内で女の人は、カウンターに座って頬杖付ながらノートパソコンぼんやり見ていたり、時々いる別のおんなの店員さんとお喋りしたりしていた。場所が悪かった訳でも、カレーが特に不味かった訳でもないが、取り立てて美味しいわけでもなく、安いわけでもなく、飲食店には不自由しないうちのエリアで、繁盛するのは難しかった。
 ある時から、店が閉まりがちになった。というか、開いてるのを見なくなった。シャッターがある訳でもないので、ガラス戸の向こうに、椅子が上向いてカウンターに乗っていて、メニューの黒板が空しく立ってるのがいつも目に入る。人気はなく、いつ通りがかってもその風景は一緒だった。最初、長期休暇かなあと思っていたけど、結局その休暇が明けることはないようだった。店が開かなくなってもうだいぶ経つ。夏前から開いてなかったように思う。いつまでたっても、その店は同じ姿だった。明らかに妙な事態だけど、特に何も考えなかった。店がつぶれるのはよくあることだし、その店がつぶれたことも特に不思議ではなかった。
 今日も駅からの帰りそこを通って、ふと店の床の方に視線をやった。すると、どうして今まで気づかなかったのか、沢山の郵便物が散乱していた。ガラス戸の隙間から虚しく入れられていたのだろう。携帯電話会社からの封書も幾つか落ちている。その他請求書のような封筒。中でも、図書館からのハガキが目に焼き付いた。返却してない資料を返せというハガキだった。5〜6冊、書名が並んでいるのが見えた。本返すの忘れるわたしも、何度か頂いたことのあるハガキだからすぐに解った。歩いて1〜2分の位置に、大きな図書館がある。ここの女の人は、そこで本を借りていたのだ。そして返さないままに、店を捨てて、どこかへ行ってしまったのだ。どこかに、返されないままの本があるのだろう。この店のどこか、女の人がかつて住んでいた部屋のどこか。何を借りてたんだろうか。あの女の人は何の本を読んでたんだろう。ここでの暮らしの最後に。
 女の人は今、その本のことを、思い出すことがあるだろうか。