横尾忠則展(/束芋展)@国立国際美術館

 横尾忠則は、好きなのか嫌いなのか自分でもよく解らないアーティストだ。横尾忠則と聞いて想起する、フレームらしきものがあって、シアンやマゼンダやイエロー、ピンクといった鮮やかでクリアな色、それが透明へと変わるグラデーション、コラージュ、といったそういう表現は余り好きではないし、そういう横尾忠則の作品もあまり好きではない。以前兵庫県立美術館で展覧会してた絵画作品は、そのときに思ったけど全然といって良いほど好きではない。でもあのときもそうだった、好きではない、と思ってみていても、うわっ、すごい、という作品が、ごろごろしている。先ほど挙げたような横尾忠則の表現を使っていない作品でも、むしろそういう苦手な表現の作品の中でも、うわっ、なんだこれ、なんてすごい…と思うものが、幾つも幾つもある。
 今回のこの展覧会は、横尾忠則全ポスターと銘打っているだけあって、前面に押し出したいのは恐らくその総量ではないだろうか。天井まで何段も、壁にみっしりポスターが積み上げられている。一点一点を見るよりもまず、全体としてのその壁面、それがひとつの展示であるかのようだった。1960年代から順に年代毎に進んでいく。19*9年と19*0年の間に何か壁がある訳でもなく、時はなだらかに過ぎるだけなのに、年代で分けられた作品のかたまりは確実に、恐らく意図的にだろうが、ひとつのかたまりだった。年代が変わればなにかが変わった。あまりに出来すぎてフィクションのようで、とても淡々としていた。事実だけが述べられた教科書を読んでいるようだった。しかしそれと対照的に、壁面の鮮やかさはなんだろう。ひとつひとつの作品の鮮烈さは、わたしの嗜好など一瞬で消し飛んでしまう圧倒的な感覚は。すべてがすべて良いと感じる訳ではないのだが、数枚に一枚の割で、悲鳴が溜息になるような、なんだこれは!という作品がある。圧倒的としか言いようがない。その数も、その感覚も。
 展示は、先ほども書いたようにとても淡々としている。年代別の並べ方で、年代が変わる毎に、数行の解説が入る。それも非常に淡々とした、事実のみを述べたようなキャプションだ。ベタベタしてなくて、とてもスカッとする印象の展覧会だった。作品の、情緒的に、ではなくストレートにガツンとくる感じととてもよく似ている。年代順と書いたが、実は最後の部屋は、2000年代ではなく、1950年代の、最初期に戻る。そこで更にガツンとされる。途中横尾忠則がヒッピー文化に傾倒したあたりの作品を集めた部屋があって、そこだけ天井から吊すという変わった展示の仕方がなされていた。恐らく気のせいではないと思うが、不思議なお香のような香りが漂っていた。火を使うお香がたける訳は無いと思うので、なにか違う手段で香気を出しているのだろう。とても効果的で面白いと思った。他の展覧会でもしつこくない程度にしてほしい。1990年代だけ青い壁だったのは一体どうしてだろうな。それについて余り考えずに見てしまったのが今少し悔やまれる。
 図録なのかよく解らんが図録ぽいものが12,000円で売られていた。図録あったらほしいなーと思っていたがそれ見て即やめた。さすがにそれは。書籍になってるか中は余り確認しなかったのだが、画集的ポジションで出版したのかも知れない。物販はいつもの横尾グッズ。ポストカード数枚購入。日曜日だけど序盤だからかまだ混んでなかった。ガラガラではないけど、気持ちよく見れた。
 B2では束芋展。実際見たことはまだなくて、新聞や諸評などで見かけた程度なのだが、とても楽しみにしていた。なんか疲れてきたのであまり書くことも思い浮かばないのだが、とてもとても良い展示だった。横尾と分けて来てもいいくらい。すごくすごく良かった。展示どんなのとか余り気にしないでふらっと行ってどきどきしながら見るのが良い展示だと思う。とてもおすすめ。