ズボンズのこと

 ズボンズのドン・マツオ氏がblogやメルマガ等でかいま見せる、自分たちの音楽への最高の自信というか、浮世離れしたかんじというか、他の人だとイラッとするんだろうなーと思うが、ドン氏が言うと、そうなんだろうなって思う。ライブに人を呼ぶためのアオリみたいなのが、全部地に足着いてる感じがして、これはアオリでも何でもなく、心からそう思っていて、きっと本当にそうなんだろう。実際、行くと、本当に、こんな凄いライブは他にない!!と心酔してしまう。「ズボンズを見逃したら、まぁ言っちゃ何だけど、他に見るものなんてないよ。」という、今日来たメルマガのこの最後の一文に、わたしはグッときまくってしまって、更に4日前くらいに予約注文した新録ベストの入金を思い出して、ATMに向かったのだった。
 多分ご本人たちが、ものすごくストイックに、壮絶に、音楽と向き合っているから、リスナーにもそれを求めたくなるのだろうが、勿論そんなファンはそういないわけで。メルマガにも時々辛辣と言っていいような言葉が並んでいたりする。わたしはいつこの国がズボンズに愛想尽かされるのか、戦々恐々としている。ライブ一本重ねる毎に、一瞬一瞬、多分ズボンズはどんどん先へ進んでいって、なにひとつ見逃して良いライブなんてものはない。わたしのように、余りライブも行かず(これだけ関西沢山来てくれているのに!)、言葉で、好き、というだけの人間は、彼的には眼中にないというか、唾棄すべき対象ですらあるのではないか。悲しくなるけど、仕方がないとも思う。全身全霊をかけて練り上げられた音楽には、全身全霊をかけて向き合わなければならないだろう。実際そういう訳にはいかないのだけど、マツオ氏を見ていると、普段音楽を聴いたりライブを見たりしている中で忘れてしまっているそのことを思い出す。マツオ氏はそれを求めることを隠そうとはしない。その姿勢は、とても格好いいし、とても重くて強い覚悟と自信のあらわれだと思う。
 割と前の話だけど、ズボンズの限定BOX(30setかそこらのレアBOXだった。勿論即受付終了した)の注文をしておきながら、お金がないから、とキャンセルした若者がいたらしく、そのキャンセル分受付をする、と、辛辣味のあるメルマガがきたことがあった。お金がなくて、なんて言葉を聞くのは嫌いだ、缶コーヒー買ったり他のことにはお金使ってる訳で、お金がないというよりやる気がないのだ、みたいなことが書いてあった。日々いろんなことに無駄金使ってる身としては、非常に突き刺さる言葉だった。(更に言うと、マツオ氏自身にもブーメランとして刺さりかねない言葉である。)
 来月の29日にfandangoでズボンズのライブがある。今のところ対バンとして発表されているのはギャーギャーズだけなのだが、同じ日に京都で片山ブレイカーズ騒音寺と50回転ズという笑っちゃうくらいにベタで内輪感あふるるメンツのイベントがあって、悩んでいる。ただ後者は昼過ぎから夜までの長丁場イベントで、ひとりで行くと孤独感との戦いになりそうなので、fandango行こうかなー。そのくらいでこの後ろめたさが払拭されるとは思わないけど、ズボンズのライブが終わったあとの、やっぱりズボンズがNo.1だ!というあの幸せな気持ちは、何にも代え難いものがあるのは確かなのである。