逃避と後悔

 今日のバイトは、せいいっぱい自制して平静を装っていたけど、非常に、テンションの上がるものだった。目に飛び込んでくる光景ひとつひとつに、すごい!すごい!と思ったが、グッと呑み込んでうしろをついて歩き、チェックの補佐みたいなのをした。3年くらいやってるけど、ここまで搬入のとき中入れたのは初めてで、やっててよかった!と海に吠えたくなった。これからの人生、こんなに大好きなものに関わってお金を貰えることなんてまずないと思う。関われることすらもう無いと思う。そんな夢はもう見ないよ。わたしは目的や理想や努力や、いろんな大切なものを見失った。傍らにあるのは諦念だけで、あとはただの空ろだ。悲しいことだが、労働という側面において、今が一番幸福なんじゃないだろうか。なので、できるだけ沢山の現場に入って、できるだけいろんなものを見たい。いろんなことを体験したい。残りの一日一日を、大切に働きたい。こんな駄目なわたしを使ってくれる人には、大学で会ったどの先生よりも感謝している。
 こんな人生、後悔だらけでもおかしくはないと思うが、意外と、わたしは余り後悔というものをしない。わたしの思考回路の中で最も大きな比重で存在するのは諦念で、諦めの良さには定評があるのだが、そんなことどう頑張っても自己アピールにはできないのだった。大学選びも、当時のわたしにはこの選択しか無かったと、自信を持って言い切れるし、それはどう後悔しようにもできないことだ。当時のわたしは本当に仏教美術日本画が好きで(今もだよ)、それ以外になにか好きな美術が、その萌芽が自分の中にあるとは思いもよらなかった。その情熱に依って、依ってのみ、大学を選んだことに関しては何の後悔もない。中学の免許取らなかったのは、冷静に考えて惜しかったなーとは思うけど、やっぱりどう考えても、あの中学にもう一度足を踏み入れるのは反吐が出るほど嫌だ。それを耐える価値があるほど、それがわたしの将来を確約してくれるかというとそうでもない。今までの人生の全ての選択には何か理由があって、それを選ばざるを得ない状況や、心理や、そいうのがあったのだと思う。すべてを一言で言うと、「仕方がない」ということだ。仕方がない。わたしの人生は、もしかしたら大いなる諦めの実験じゃないかと思う。わたしは割と真剣に、なにか事故や事件に巻き込まれて、或いはどこかで野垂れ死ぬその瞬間まで、「仕方ねえな」と思える気がしてならない。
 なんか、全部に現実感がないんだ。夜寝て見る夢、のリアリティというか、テレビのチャンネル変えるみたいに、現実と切り替わる、目を閉じて夢がまた始まると、ただいまって思う感じ。夜寝て夢を見る為に生きている気すら、最近する。喰われていく感じがする。こちらでもし死んでも、あちらでは何の問題もなく夢の続きが始まるんじゃないかしら。最近悪夢はとんと見なくて、全てがどこか甘やかで心地良いものばかり。そんな日々を送っています。昼間は、とてもパッとしません。