水都大阪、大阪の川


 水都大阪は、とてもいいイベントだったと思う。余りお金をかけてる感じのしない素朴なイベントだが、余りださくなってないのが凄い。クドい感じはむしろ、大阪らしくて良いだろう。中之島公園の、銀色のプレートがキラキラ光るアーチは、遠目に見たら美しい装飾なのだが、近づいてよく見ると、一枚一枚に子供の願い事が書かれてある。それに気づいたときの脱力感といったら。薔薇園が一気に町の商店街の風情を漂わせ始める。会期中盤になってから3回行った。特に何に参加した訳でもないが、知り合いや、母親とふらふら歩いた。平日に行っても、割と人がいた。付近の人たちが、憩いや散歩や子供の遊び場に、ふらっと訪れている感じがして、変に浮ついた感じや無理してる感じがなく、とても穏やかで居心地が良かった。
 大阪は河川の街だ。自然の川ではなく、埋めたり掘ったりを繰り返して、人間の都合の良いように作り替えられた人工の地形だ。そこには、琵琶湖から流れてくる水とともに、大阪に暮らしてきた古来からの人々の生活文化を湛えているとも言えるだろう。今ある川の他にも、至る所に散見される地名を見ていると、見えないけれどかつてそこに川があったことがはっきりと感じられる。今はもう川から道路へ姿を変えているかつての川たち。運輸産業が道路を中心にするようになって、だいぶ多くの川が埋められた。しかし、さんずいを含んだ漢字や、「橋」がつく地名はまだ驚くほど多く、当たり前にありすぎて気が付かないほどだ。堀江、西長堀、鰹座橋、白髪橋、桜川、難波、立売堀淀屋橋などなど。枚挙にいとまがない。川が人やものを運び、それによって町が栄え、大阪は発展してきた。川が何かを運ぶ必要がなくなった今、その存在をどう捉えるか、どう暮らしに取り入れるか、それは大きな課題だし、水都大阪はそれに対するひとつのアプローチだろう
 中之島を歩くと、否応にも川が目に飛び込んでくる。ただそこにあるだけだった、或いは澱んだ水のかたまりだったそれらは、意識的に、美しくそして身近なものに感じられるよう、整えられ飾られた。波打ち際のように段階的に浅くなった川辺を覗き込むと、意外にその水が透き通っていることが解るだろう。魚の鱗が光を反射してキラキラ光っているのも見えるだろう。視線を上げると水面からは高速道路の足がにょきにょきと生え、その上で曲がりくねる古ぼけた道路は、手垢にまみれた本のような、懐かしさや古い文化のにおいがする。高層ビルが建ち並ぶ中、よくよく見れば川は酷くアンバランスな存在だ。水量や水質など多くの管理を受けながらやはり酷く有機的で、自然と非自然、そして時代が混在した不思議な落ち着きと存在感を放っている。今も昔も姿を変えながら、大阪のど真ん中には川が流れていた。その川の上を、会期中は多くの船が行き来していた。橋の上と川の上、或いは川沿いの遊歩道と川の上、どちらともなく手を振って、振られた方は振り返す。道路を走る観光バスの中と、その周りで、こんなやりとりがあるだろうか。陳腐な言い方だが、あの船は間違いなく、町中に人の笑顔と楽しい思いと、そして誰かの楽しみを嬉しく思う心を運んでいた。思えば小さい頃、橋を渡っていて船を見かけると手を振ったものだった。船の上のおっちゃんは、ほぼ必ずそれに目を留めて、振り返してくれるのだった。大阪って今も昔もそんな町だ。
 ひとつ水都大阪に関して難点を述べるなら、こんな感じで、地域住民にとっては非常に親しみやすい、楽しいイベントだったのだが、周辺地域への拡がりは乏しかったという点だろうか。ひとことでいうと、ローカルイベントだよねーっていう。細々と色んなことをしていたけど、派手さには圧倒的に欠けていて、唯一巨大アヒルだけが、全国区で(少し)注目を浴びていた。そもそも告知も割と微妙で、なにやってるかよく解らんから散歩がてら近隣住民がふらっと行くのが主になってしまう。ただ、次に繋げることが出来れば良いんだと思う。まずその近くに生きてる人が、川の魅力や美しさを感じて、それを地盤にしてもっと広い範囲に、大阪の川文化の面白さを広めていく。水都大阪の会期は終了したけど、その姿勢やコンセプトを、継続的に持ち続けることが出来れば、大阪の川はもっと多くの人にとって楽しくなるはずだ。



  川を覗き込むという、わたしが普段橋を渡るとき自然と行っている動作は、他人にとっては少し奇異に映るらしい。ぼんやり見ていると、時々通りがかりの人に、「なんかおる?」と話しかけられるが、特になにもいない。でも水面を眺めると、潮の満ち引きや、月の大きさや、水門の動きや、思い浮かぶことは沢山ある。魚や亀や鳥や停泊している船や、目に付くものも沢山ある。夕方頃になると、川沿いのマンションに反射した夕陽で、空と水面がオレンジ色になる。向こうには大阪ドームもきらきらと輝いている。数え切れないほど目にして、でもその度にふっと意識が持って行かれそうになるほど美しい。わたしは大阪が好きだし、大阪の川が好きだし、それによって生まれ育まれた文化がとても好きだ。好き、という言葉に続くのはやはり、みんなそうあればいい、という言葉だ。みんなそうあればいい。橋の上で川を覗き込む人が、もっと増えますように。船が通ると、手を振るんだよ。