the dokuros



△夜の川


 beastie boysザ・ドクロズ週間である。
 ドクロズは、活動休止してしまってから何となく聴く頻度が減ってしまっていた。やっぱり何か悲しくて。でも改めて聴くと、自分がどれほどドクロズ好きか思い知らされる。好きすぎて偶に涙出てくる。女子が歌うバンド、これからの人生ひとつだけしか聴いちゃ駄目、て神さまに言われたら、わたしは迷い無くドクロズを選ぶだろう(男も入るとエレカシか桑田になる)。ミドリとかも、好きなんだけど、わたしにまりこのような激情は正直な話まったく無い。ミドリを見て涙が出るのは、色んなものを顕わにさらけ出しながら歌い暴れるまりこの強さや悲しさや美しさや脆さのせいだ。そしてその激情を、普段自分が感じることのない、じゃなく、感じることの出来ない激情を、追体験するからだ。ドクロズは、そういう風には聴いていないと思う。よく解らんけど、ひとことで言うと憧れなんだと思う。解る、とは言いたくないし言えない。でも確かに、わたしはそこに入りたくて、狂おしいほど入りたくて、それは多分自分の中にあるその片割れ、一部分が酷く疼くから、そういう世界がドクロズの音楽にあるように思う。あのしれっとした感じ、飄々とした感じ、時折見せる激しさや苦しみ、決してキャピキャピしてないけど女子らしさは失わない、スッと芯の通った強い女子像。すっくと立って、力強く揺るぎない目でギター掻き鳴らしながら歌うアサコさんの美しさよ。気高さよ。ドクロズは本当に良いバンドだった。ステージで繰り広げられる自由気ままな女子たちの世界は、賛否両論あったにせよ、明るくいきいきと輝いてた。ドラムとギターが抜けてしまって活動休止に入り、再開するのかしないのかいまいちよく解らないけど、でも兎に角、あの4人の女子たちがいたドクロズはもう終わったのだ。帰ってこないのだ。
 今年は本当にわたしにとって辛い解散だの休止だのが多いように思うよ。ドクロズに赤犬bleachに。どれも欠かすことの出来ない大切なバンドだったのに。辛い年だ。