2018年に読んだ本まとめ

2018年の読書メーター
読んだ本の数:70
読んだページ数:25847
ナイス数:0

亡国のイージス 下(講談社文庫)亡国のイージス 下(講談社文庫)
読了日:12月17日 著者:福井 晴敏
亡国のイージス 上 (講談社文庫)亡国のイージス 上 (講談社文庫)
読了日:12月14日 著者:福井 晴敏


実家の「あんまり再読する気ないけどもしかしていつか気が向いてまた読みたくなるかもしれないから売らない本入れ」から発掘し、再読。もう十年以上読んでないんじゃないか。全く内容忘れてて、新鮮な気持ちで読めました。おもしろかった。これはやっぱり手放せない。ローレライもまた読みたいが、あれは買ってなかったのかな。見つからず。

子育てで一番大切なこと 愛着形成と発達障害 (講談社現代新書)子育てで一番大切なこと 愛着形成と発達障害 (講談社現代新書)
読了日:12月13日 著者:杉山 登志郎


旦那さんが買ってて面白い言うから読んだ。どちらかというと健やかに子育てできる社会とは、みたいな大きな内容で、タイトルからイメージされるような具体的な育児tipsて訳ではない。ただ大事なことを娯楽性の高い軽くて読みやすい文章で書いてあり、気軽に読める良い本。

不毛地帯 第5巻 (新潮文庫 や 5-44)不毛地帯 第5巻 (新潮文庫 や 5-44)
読了日:12月07日 著者:山崎 豊子
不毛地帯 第4巻 (新潮文庫 や 5-43)不毛地帯 第4巻 (新潮文庫 や 5-43)
読了日:12月06日 著者:山崎 豊子
不毛地帯 第3巻 (新潮文庫 や 5-42)不毛地帯 第3巻 (新潮文庫 や 5-42)
読了日:12月04日 著者:山崎 豊子


旦那さんの知り合いから旦那さんを通して突如やってきた山崎豊子ブーム。なんせ長いから没入の具合が半端でなく、自動車会社の統合や油田掘りやらが今現在リアルに行われていることのような気がして、新聞見ながら記事探したりネットで反応見てみようとかぼんやりブラウザ立ち上げたり何か読んである間中へんな感じになってしまった。なんか、何が好きって感じでもないんだけど、密度と長さで殴ってくる感じやな、山崎豊子。面白いからどんどん読んじゃうもんな。すごい。

エヴェレスト 神々の山嶺 (角川文庫)エヴェレスト 神々の山嶺 (角川文庫)
読了日:12月01日 著者:夢枕 獏


角川文庫の電子版期間限定無料で読んだ。ネットしてると時々漫画版の画像を見かけるのでずっと気になっていた。夢枕獏とかまじ高校生のときぶりくらい。なんか名前の胡散臭さで避けてたところがあったが、めっちゃ面白かった。いつか紙の本買いたいです。

不毛地帯 第2巻 (新潮文庫 や 5-41)不毛地帯 第2巻 (新潮文庫 や 5-41)
読了日:11月25日 著者:山崎 豊子
不毛地帯 (第1巻) (新潮文庫 (や-5-40))不毛地帯 (第1巻) (新潮文庫 (や-5-40))
読了日:11月21日 著者:山崎 豊子
日本SF短篇50 I (日本SF作家クラブ創立50周年記念アンソロジー)日本SF短篇50 I (日本SF作家クラブ創立50周年記念アンソロジー)
読了日:11月18日 著者:光瀬龍,豊田有恒,石原藤夫,石川喬司,星新一,福島正実,野田昌宏,荒巻義雄,半村良,筒井康隆
一路(下) (中公文庫)一路(下) (中公文庫)
読了日:10月31日 著者:浅田 次郎
一路(上) (中公文庫)一路(上) (中公文庫)
読了日:10月29日 著者:浅田 次郎


表紙が山口晃ですばらしい。中身も浅田次郎、安定のおもしろさ。さすがや。間違いなさ過ぎる。

歩兵の本領歩兵の本領
読了日:10月23日 著者:浅田 次郎


くしゃみしたくない場面でくしゃみが出そうになったら鼻をつまんで倒す、というtipsが日常的に役立ちすぎている。

マルドゥック・ヴェロシティ 3 (ハヤカワ文庫JA)マルドゥック・ヴェロシティ 3 (ハヤカワ文庫JA)
読了日:10月20日 著者:冲方 丁
マルドゥック・ヴェロシティ 2 (ハヤカワ文庫JA)マルドゥック・ヴェロシティ 2 (ハヤカワ文庫JA)
読了日:10月20日 著者:冲方 丁
マルドゥック・スクランブル The 3rd Exhaust 〔完全版〕 (ハヤカワ文庫JA)マルドゥック・スクランブル The 3rd Exhaust 〔完全版〕 (ハヤカワ文庫JA)
読了日:10月19日 著者:冲方 丁
マルドゥック・ヴェロシティ〈1〉 (ハヤカワ文庫JA)マルドゥック・ヴェロシティ〈1〉 (ハヤカワ文庫JA)
読了日:10月19日 著者:冲方 丁


このときマルドゥックブームが来ていた。kindleで買ってあるのでたいへんアクセスしやすく良い。ヴェロシティ以降のもそのうち揃えたい。

日本三文オペラ (新潮文庫)日本三文オペラ (新潮文庫)
読了日:10月19日 著者:開高 健


昔読んでめちゃくちゃ好きだったはずなのに手元になく、ああ図書館で借りてもらって読んだんだな~と思っていたのだけど、やっとこ入手。やっぱり好きすぎるので大事に読んでたら出産またいでこの時期まで読んでた。

マルドゥック・スクランブル The 2nd Combustion 〔完全版〕 (ハヤカワ文庫JA)マルドゥック・スクランブル The 2nd Combustion 〔完全版〕 (ハヤカワ文庫JA)
読了日:10月18日 著者:冲方 丁
マルドゥック・スクランブル The 1st Compression 〔完全版〕 (ハヤカワ文庫JA)マルドゥック・スクランブル The 1st Compression 〔完全版〕 (ハヤカワ文庫JA)
読了日:10月18日 著者:冲方 丁
東京衛生病院の減量講座レシピブック ~“おなかいっぱい食べられる"おいしい減量メニュー146品~東京衛生病院の減量講座レシピブック ~“おなかいっぱい食べられる"おいしい減量メニュー146品~
読了日:10月16日 著者:佐々木 温子,東京衛生病院栄養科


旦那さんが買ってたのでついでに読んだ。卵乳製品アリのベジタリアン食を病院食として提供している、なかなかトガった病院の食事の本。基本レシピ本とかあんまり好きじゃないので読まないが、うちも家で作る料理はほぼほぼ野菜ばっかり(ただ思想的ベジタリアンではないので出汁に鰹は普通に使う)なので、なるほど!も、あるある!も、色々あっておもしろかったです。

わが心のジェニファー (小学館文庫)わが心のジェニファー (小学館文庫)
読了日:10月09日 著者:浅田 次郎
されど愛しきお妻様 「大人の発達障害」の妻と「脳が壊れた」僕の18年間されど愛しきお妻様 「大人の発達障害」の妻と「脳が壊れた」僕の18年間
読了日:09月26日 著者:鈴木 大介


これも旦那さん本。軽い語り口で書かれてるけどこれめちゃくちゃヤバイよな…てのがたくさんあって震えた。

わかりあえないことから──コミュニケーション能力とは何か (講談社現代新書)わかりあえないことから──コミュニケーション能力とは何か (講談社現代新書)
読了日:09月24日 著者:平田 オリザ


これも旦那さん購入の本。タイトルから想像してた内容とは良くも悪くもちょっと違ったけどおもしろかった。「かわいい」という表現が、日本語で唯一上から目線ではなく対等の視点からの褒め言葉である、というのに、ハァ~!スゲエ!と思って、それが一番印象に残っている。

ギャンブル依存とたたかう (新潮選書)ギャンブル依存とたたかう (新潮選書)
読了日:09月22日 著者:帚木 蓬生


独身時代に借りて読んだ帚木蓬生(医師サイド)のギャンブル依存症本が凄い良かったのでまた読みたい、と思ったのだがどれだか解らずとりあえず買ってみた本。探していたものとは違ったが面白かった。ただちょっと古い本なので、載ってる統計情報とか行政の問題色々とか、今またフェーズが違ってるんじゃないかな、てのは少々あった。

子どもの感情コントロールと心理臨床子どもの感情コントロールと心理臨床
読了日:09月11日 著者:大河原美以


旦那さんが買ってた本。専門職向けなのでむずかしかったが、まぁそれなりにかいつまんで。だが正直素人がこの手の本読んでもプレッシャーにしかならない気はしないでもない。

夏への扉 (ハヤカワ文庫SF)夏への扉 (ハヤカワ文庫SF)
読了日:09月10日 著者:ロバート・A. ハインライン


めんどくさい本ばっかり読んでると、こういう気持ちよい本を読みたくなりますな。

ちょっと理系な育児 母乳育児篇ちょっと理系な育児 母乳育児篇
読了日:09月10日 著者:牧野すみれ


これも旦那さんが買ってた本。わたしこれ絶対読まないですよ!!!と宣言していたにも関わらず、その辺(ソファとか)にあったのでついつい読んでしまった。なんとも言えない気持ちになりましたが勉強にもなりました。ただほんと「もうやめてくれー!!勘弁してくれー!!!!」てのが8割くらい。母乳育児つらい。とは言え、出産~育児(序盤)を通して読んだ色々な本・教本の中で一番参考になったというか、そうそうこういうテイストで全ての育児啓発資料を作成してほしいんだよ!という気分。自治体がよこすやつも病院がよこすやつも、仕組みへの言及が少なすぎる。解り易くしようとしているのかもしれないが、表層的な手順や助言に終始しているので、モノによってブレがありすぎ。同じ(科学的根拠のある)(と思いたい)事実をもとにして書いてあるとしても、受け手の状況によって表現の仕方であったり、示すべき手順や助言の内容に関しても差が出てくるものでしょう。媒体によって想定される読者が異なればそれらも変わっていく訳で、そういう色々な設定の資料を色々な所から渡されるから、それ全部真面目に読んでると混乱する。じゃあ何がほしいかというと、それらのソースとなる事実や根本的な仕組みなんだよ。周産期ってそういう情報がホントない。結果、科学的裏付けがある(と思われる)文章も、おまじない・知恵袋レベルの何かにしか見えなくなってきて、とてもイライラしました。友達が誰か子ども産むことになったら、この本だけはおすすめしたいと思える。

宇宙船レッド・ドワーフ号〈2〉素晴らしきかな人生宇宙船レッド・ドワーフ号〈2〉素晴らしきかな人生
読了日:09月07日 著者:グラント ネイラー
宇宙船レッド・ドワーフ号〈1〉無限の宇宙そんなに急いでどこへ行く宇宙船レッド・ドワーフ号〈1〉無限の宇宙そんなに急いでどこへ行く
読了日:09月06日 著者:グラント・ネイラー


久々に再読して毎度ながら泣いた。ドラマと同じ設定でここまで辛い小説になるか。コメディと悲劇は表裏一体だなぁ。

美しい星 (新潮文庫)美しい星 (新潮文庫)
読了日:08月31日 著者:三島 由紀夫


昔おすすめSF小説スレかなんかで紹介されててamazonウィッシュリストに入れたままだったのを思い出して購入。なかなか良かったです。終盤の問答は圧巻。

プリズンホテル〈4〉春 (集英社文庫)プリズンホテル〈4〉春 (集英社文庫)
読了日:08月26日 著者:浅田 次郎
脳の進化で子どもが育つ―古い脳と新しい脳の機能をよく知って脳の進化で子どもが育つ―古い脳と新しい脳の機能をよく知って
読了日:08月24日 著者:成田 奈緒子


旦那さん本。こういうのをがんがんソファの横とか積まれてる訳ですよ。まぁたしかに知っておくべきことであるのは確かなんだけれどもだな、一言で申しますとプレッシャーですよね!!!!!

プリズンホテル〈3〉冬 (集英社文庫)プリズンホテル〈3〉冬 (集英社文庫)
読了日:08月23日 著者:浅田 次郎
プリズンホテル〈2〉秋 (集英社文庫)プリズンホテル〈2〉秋 (集英社文庫)
読了日:08月22日 著者:浅田 次郎
プリズンホテル〈1〉夏 (集英社文庫)プリズンホテル〈1〉夏 (集英社文庫)
読了日:08月20日 著者:浅田 次郎


疲れたときのプリズンホテル。

動物農場: 付「G・オーウェルをめぐって」開高健 (ちくま文庫)動物農場: 付「G・オーウェルをめぐって」開高健 (ちくま文庫)
読了日:08月08日 著者:ジョージ オーウェル

出産後、授乳しながら読んでいた。教科書的寓話。おもしろかったです。後半の、開高健によるオーウェル雑文みたいなのも良かった。

楽しい食品成分のふしぎ 調理科学のなぜ楽しい食品成分のふしぎ 調理科学のなぜ
読了日:08月04日 著者:松本仲子


めっちゃ良かった。こういうのちゃんと勉強したら楽しそう。

夫婦茶碗 (新潮文庫)夫婦茶碗 (新潮文庫)
読了日:07月31日 著者:町田 康


主人公の駄目ッぷり屑ッぷりが素晴らしかった。混乱しながら夢うつつのまま流されていくような、頭をかき回される本でした。

患者さんに信頼される医院の心をつかむ医療コミュニケーション (DO BOOKS)患者さんに信頼される医院の心をつかむ医療コミュニケーション (DO BOOKS)
読了日:07月22日 著者:藤田 菜穂子
カニバリズム論 (ちくま学芸文庫)カニバリズム論 (ちくま学芸文庫)
読了日:07月20日 著者:中野 美代子


著者は中国文学者で、カニバリズムだけでなく纏足や拷問など多岐にわたる内容。淡々とした文章の中に、時々著者のうっとり感が出てきて生々しく良い。意図したわけでは無いのだが、タイミングの問題で、産前産後の病院で読んでて、ちょっと我が子に申し訳なくなった。

欧米人とはこんなに違った 日本人の「体質」 科学的事実が教える正しいがん・生活習慣病予防 (ブルーバックス)欧米人とはこんなに違った 日本人の「体質」 科学的事実が教える正しいがん・生活習慣病予防 (ブルーバックス)
読了日:07月16日 著者:奥田 昌子


旦那さんが買ってたのを横から読んだ。データが多く示されていて、納得できるような書き方がされており解り易い。

輝ける闇 (新潮文庫)輝ける闇 (新潮文庫)
読了日:07月15日 著者:開高 健
塀の中の患者様――刑務所医師が見た驚きの獄中生活塀の中の患者様――刑務所医師が見た驚きの獄中生活
読了日:07月13日 著者:日向正光


矯正医官という仕事があるのは知ってて、募集用PRビデオみたいなのも見たことあったのだけど、ああ実際こんなんなのか…とビックリ。色々想像を越える実態で、とても面白かったです。

知の体力 (新潮新書)知の体力 (新潮新書)
読了日:07月12日 著者:永田 和宏
ルナ・ゲートの彼方 (創元推理文庫)ルナ・ゲートの彼方 (創元推理文庫)
読了日:07月11日 著者:ロバート・A.ハインライン
中島らもの明るい悩み相談室 (朝日文芸文庫)中島らもの明るい悩み相談室 (朝日文芸文庫)
読了日:07月09日 著者:中島 らも
賞の柩 (新潮文庫)賞の柩 (新潮文庫)
読了日:07月09日 著者:帚木 蓬生
はい、チーズ (河出文庫)はい、チーズ (河出文庫)
読了日:07月07日 著者:カート ヴォネガット
虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)
読了日:07月02日 著者:伊藤 計劃


初めて読んだ伊藤計劃。むちゃくちゃおもしろくて、サイコー!と解説読んだら亡くなっててショック。

パニック・裸の王様パニック・裸の王様
読了日:06月26日 著者:開高 健
あなたの人生の物語 (ハヤカワ文庫SF)あなたの人生の物語 (ハヤカワ文庫SF)
読了日:06月22日 著者:テッド・チャン


ちょこちょこSF読んでるけど、今まで読んだ中で2番目くらいによく解らなかった短編集。2回目以降の自分に期待したい。

2061年宇宙の旅 (ハヤカワ文庫SF)2061年宇宙の旅 (ハヤカワ文庫SF)
読了日:06月04日 著者:アーサー・C クラーク
蠅の帝国: 軍医たちの黙示録 (新潮文庫)蠅の帝国: 軍医たちの黙示録 (新潮文庫)
読了日:05月31日 著者:帚木 蓬生


様々な軍医たちの体験談みたいなのが独白形式で集められた体裁の短編集。帚木蓬生の文章ってきっちりしてるから(悪い意味ではなく)道徳の教科書的な印象を受けた。淡々と綴られる軍医が見た軍隊、訓練、戦場は、やはり一般的な戦時体験談とは違い、医師という職業は軍隊においてもやはり特殊・特別で、なんともいえない読後感がありました。うまく言えないけど、すごい本だと思った。

空の色紙 (新潮文庫)空の色紙 (新潮文庫)
読了日:05月20日 著者:帚木 蓬生
英雄の書〈上〉 (新潮文庫)英雄の書〈上〉 (新潮文庫)
読了日:05月17日 著者:宮部 みゆき
英雄の書〈下〉 (新潮文庫)英雄の書〈下〉 (新潮文庫)
読了日:05月17日 著者:宮部 みゆき
やってみなはれみとくんなはれ (新潮文庫)やってみなはれみとくんなはれ (新潮文庫)
読了日:05月17日 著者:山口 瞳,開高 健


山口瞳開高健によるサントリー社史。愛される会社だったんだなぁとしみじみ。

ちいさい言語学者の冒険――子どもに学ぶことばの秘密 (岩波科学ライブラリー)ちいさい言語学者の冒険――子どもに学ぶことばの秘密 (岩波科学ライブラリー)
読了日:05月17日 著者:広瀬 友紀
人間をお休みしてヤギになってみた結果 (新潮文庫)人間をお休みしてヤギになってみた結果 (新潮文庫)
読了日:05月09日 著者:トーマス トウェイツ


新聞の書評で見て気になってた。壮大な探偵ナイトスクープ。おもしろかった。

地球幼年期の終わり【新版】 (創元SF文庫)地球幼年期の終わり【新版】 (創元SF文庫)
読了日:05月05日 著者:アーサー・C・クラーク


名作だよなぁ。この手の新人類モノ好き。

2010年宇宙の旅 (ハヤカワ文庫SF)2010年宇宙の旅 (ハヤカワ文庫SF)
読了日:04月26日 著者:アーサー・C. クラーク
スローターハウス5 (ハヤカワ文庫SF ウ 4-3) (ハヤカワ文庫 SF 302)スローターハウス5 (ハヤカワ文庫SF ウ 4-3) (ハヤカワ文庫 SF 302)
読了日:04月10日 著者:カート・ヴォネガット・ジュニア
他者という病 (新潮文庫)他者という病 (新潮文庫)
読了日:03月26日 著者:中村 うさぎ
告白 (中公文庫)告白 (中公文庫)
読了日:02月19日 著者:町田 康


昨年度、1年間だけだけど、この舞台となった大阪南部の某村に住んでいたので、なじみある地名がモリモリ出てきてゾクゾクした。町田康読んでる時の、呑まれて流されいくみたいな疾走感とても好き。

歌おう、感電するほどの喜びを!〔新版〕 (ハヤカワ文庫 SF フ 16-8)歌おう、感電するほどの喜びを!〔新版〕 (ハヤカワ文庫 SF フ 16-8)
読了日:01月21日 著者:レイ・ブラッドベリ


買ってからしばらく寝かせてあった短編集だけど、素晴らしかったなぁ。また読みたくなってきた。

医療者が語る答えなき世界: 「いのちの守り人」の人類学 (ちくま新書1261)医療者が語る答えなき世界: 「いのちの守り人」の人類学 (ちくま新書1261)
読了日:01月15日 著者:磯野 真穂


この著者とても気になっている。他の著作も読みたいです。

目に見えない世界を歩く: 「全盲」のフィールドワーク (平凡社新書)目に見えない世界を歩く: 「全盲」のフィールドワーク (平凡社新書)
読了日:01月08日 著者:広瀬 浩二郎
荒神 (新潮文庫)荒神 (新潮文庫)
読了日:01月07日 著者:宮部 みゆき
外道の群れ―責め絵師・伊藤晴雨伝 (幻冬舎アウトロー文庫)外道の群れ―責め絵師・伊藤晴雨伝 (幻冬舎アウトロー文庫)
読了日:01月05日 著者:団 鬼六


2018年の読書はじめは団鬼六だったのか……。


読書メーター

妊娠

妊婦になって思ったことや考えたことを記録しておこうと思う。

それまで一人の独立した生物として生きてきたはずだったものが、妊婦となった途端、個人の嗜好や自由を引き剥がされ、人肉保育器となるのだ。ということを、妊娠してから4カ月ほど勤めていた職場と家を行き来する道すがら考えていた。田舎の道というのは都会と比べて本当になにもなくて、まだ田んぼや川や自然に近い田舎道ならまだそれらを眺めながら歩く楽しみがあるのだが、単に家々が並び車がぶんぶん通り歩道もろくにないただの道を歩くというのは外的刺激が少なく、ひたすら内向的に何かを考えるくらいしかやることがないのだ。
わたしは悪阻が全くといって良いほど無くて、多分めちゃくちゃ楽な妊娠初期だったと思う。ただ、自分の筋肉や骨やエネルギー、体力、そういうものが溶けて消えていく感覚はすごくあった。消えていくというか、腹の中で行われている大事業に徴発されていっているという感覚が。職場で日常的に使っていた階段が辛い。3階に上がるだけで息が切れる。普通に持てていた荷物が重い。歩くのだけは結構得意だったのに、少し歩いただけでしんどくなり、今まで自分とともにあった「歩くだけならどこまででも行ける」という感覚が完膚なきまでに崩壊した。これがまず、わたしの意思とは関係なく、わたしの身体がわたし以外のものに対して身を削りながら奉仕している、という、どこか裏切りを受けたような感覚の始まりだった。わたしの身体は今わたしのためのあるのではなく、腹の子のためにあるのだ。
また、何を食べてはいけない、飲んではいけない、或いは摂取しなければならない、また、これをしてはいけない、これをしなければいけない、妊婦になるととても沢山のことを色んな方面から言われる。インターネットの普及により常時情報は過多で、色んな人が色んな考え方やメソッドをとても気軽に披露する。また、医療や保健に関する技術の向上・研究の振興によって「正しいこと」は日々アップデートされ、更に発信される情報のバリエーションに拍車を掛ける。なのでそれらに律儀に目を通し情報の精度を検討し実行していくとなると本当にもう頭がパーンとなりそうなくらいしんどい。テーマが妊娠・子育てとなると、独りよがりな正義感に基づき自分の考えに与しない対象に対して、控えめに申し上げて大層排他的に罵りくさることで自分の正当性を高められると勘違いなさっている方が、他のテーマに比して印象として多いように見受けられ、それにも大層うんざりさせられた。妊娠も育児も、因と果が必ずしもはっきりと存在しない。その関係が明快に解るほど単純な物ではなく、様々な要因が絡み合い、果が生じるものではあるまいか。その絡み合いの中からひとつの因を抽出して検討することは非常に難しい。ただ妊娠・育児という事業の大規模さ、非理性的に生じる母性とかいうやつ、生命を生み出すという神秘性、それらのドラマティックさが、自分の経験の絶対化を生む。また自分の理解や経験の埒外のものをそのまま認識する能力を失わせ、色んなものを自分の都合よく解釈し、更に経験や認識の絶対化は強まっていく。いつの間にか「経験」は個人の中で「理論」という皮を被り、外部へ発信される。そういう状況から発せられる情報に何の価値があろうか。
ということを妊娠前からずっと感じていたので、わたしは触れる情報を積極的に制限することに、妊娠が解った際まず決めたのだった。具体的に言うと、自分を直接担当する医師・助産師・保健師たちの言うこと・彼らが配布する資料類、インターネットで何かを調べる際は、産科婦人科学会か大学ドメインのページのみを情報源とし、それ以外は一切見ないようにした。本や雑誌にしても、書籍化されているというだけで信用に値するとは到底思えないので、手に取りもしていない。別にそれらの基準に当てはまるから全て正しいとは思っていないが「わたしはそれらの情報を材料として総合的に検討しながら考え判断する」ということを一度決めてしまうと、それなりにストレスは減ったのではと思う。
しかしそれでも、今までの人生で無意識に蓄積してきた有象無象の言葉、考え、またSNSなどの日常的なインターネット閲覧、それらによって構築されたわたしを取り囲む仮想的な社会からの視線がわたしを萎縮させ苦しめる。なまじ結婚前は色々な情報に触れる仕事をし、それらについてひとつひとつ考えながら生きてきたと思うし、それは自分にとって大切なことだけど、わたしを苦しめる仮想社会の構築に寄与しているのは確かだろう。何かをすることによって生じるリスクが過大に感じられ、可能性が具現化した際に投げかけられるであろう社会からの冷たい視線、自己責任論、妊婦なのにどうしてそんなことも我慢できないのか、母親としての自覚が足りない、最近の妊婦は云々といった声、何をするにしてもそういう想像がバーッと頭の中に広がっていく。結果、何かがしたい、食べたい、飲みたい、個人的な欲望は全て悪となる。「妊婦として」何をすべきか、何を食べるべきか、何を飲むべきか。個人の意思とは関係なく、それらを最優先して考え行動する「完璧な妊婦」を求道することが自分の中で正しさへと化けていく。しかしそれは外圧(仮想的であれ)によって組み上げられた「正しさ」であり、わたしが求めたものではない。完全に実行できる訳もない。ただひたすらに息苦しさと、「正しいことができない」という罪悪感と、自分の中の過剰な妊婦像によって「わたし」という人格が自分から引き剥がされていく苦痛がある。
こうやってわたしは、肉体的にも精神的にも自分の人生というものを失い、腹の子と社会にかしずく保育器と化す。
どこかへ行く車の中で、旦那さんと代理母について話していたことがある。お金もらうとは言え全く他人の子を仕事として孕み出産できる代理母って凄いよな〜自分の子ですらもう二度と御免だわみたいな話から(お金が介在しない代理母も勿論存在するが)、もし自分なら幾ら貰うとそれができるか、みたいな話になって、逆にその金額を自分が代理母に支払うとしてその代理母にどういうことを要求するかというのを考えた。するとやはり、妊娠期間中はその代理母の生活を人権無視と言われるレベルで100%支配したいと思う。添加物や農薬など身体に悪い影響がある可能性のあるものは口にさせないようにし、肉や牛乳は元になる飼料にまで気を遣い、栄養管理も完璧に行い、適切に運動させ、それらの制限を破る恐れのある自由な外出や余暇は一切与えず、ひたすら胎児を育てるためだけの人体として管理したいだろう。そこまでしても、生まれてきた子に何らかの疾患や障がいがあったならば諦めもつくが、もし管理が甘かった場合にそうなったとしたら、その甘かった部分を責めずにおれようか。
ということを旦那さんに話していると、怖いな〜と言われたが、その怖さは実際自分に対して向いているものである。管理しきれない母体は自分自身であり、何かあった場合に責めるのも責められるのも自分自身であり、そう思うと母親にとって自分の体内で育まれ生まれ来る子というのは、妊娠期間中の、ひいてはそれ以前も含めた自分の人生の瑕疵が刻まれた通知書のようなものではないか。その通知書は父親のものにはなり得ないし、何らかの責任を父親は負わないだろうし、もちろん他の誰も負わないだろう。もちろん生まれてくる子の健康状態は100%母親の行動によってコントロールできる訳ではなく、運としか言いようがないことだって多い。もっと言うならそのコントロールに関して科学的根拠がある事象は極めて少ないため、冷静に考えたら母親を理論的に責めることができるケースはほとんど無いことは解っている。ただわたしはきっと、責任を感じるだろうし、自分の中の仮想社会はこぞってわたしを責めるだろう。
今まで長い間、わたしの身体はわたしだけのものだった。わたしの行動・食事、それに依る身体状態の変化に対してわたしだけが対応すれば良いだけの話だった。病気になれば、わたしが苦しむだけで済んだ。社会人として会社勤めをしていたら、まぁ迷惑を掛ける部分はあったが、そのとき感じる責任と、ひとつの命の土台を組み上げていく作業に対して自分が負う責任には雲泥の差がある、というか全く性質を異にしている。わたしは多分その重圧に耐えかねているし、その責任を認識しながらも「完璧な妊婦」になれないことに絶望している。妊娠という状態を幸福に感じたことは、正直に言って、一度もない。楽しみね、と声をかけられる度、そうですねと当たり障り無く答えながら、楽しみと素直に思える妊婦は一体どんな完璧な生活をしているのだろうかと思い、自分の至らなさに辛くなる。無私の境地に至り胎児の為に生きることを幸福と思える妊婦こそが「母親」になれるのならば、わたしは産んだ後いったい何になるのだろうか。
わたしにとって妊娠とは、自分の未熟さと身勝手さを十月十日にわたって突きつけられ続ける期間であった。そして恐ろしいことに、出産した後きっと、自分の未熟さと身勝手さを突きつけられ続ける育児期間が、妊娠の比じゃ無い長さで続くのである。

結婚して、大鹿村というところで暮らし始めた

 長野県の南の方の、山の奥にあるちいさな村だ。
 生まれてから29年、大阪のまんなかで暮らしてきたわたしにとって、大きな環境の変化だが、実際のところ外から思うほど、ストレスを感じているとか、戸惑っているとか、困っているとか、そういうことはあまりない。知らないこと、わからないことはたくさんあって、新鮮なこともたくさんあって、でもなにもかも結局のところ、今までの暮らしと地続きであることに、自分でも驚いている。無いなら無いなりの暮らしがあり、それらの制限は刺激でもあり、街や人を眺めて楽しいように、家の近くの草藪や山の草木を眺めるのは楽しい。環境が変わるのいうのは、家や、町や、生活様式や、色々関係する物事はあるのだろうが、多分その中でも大きな位置を占めるのは人間関係であり社会との関わり方であるようにわたしは感じる。その点で、わたしの環境の変化というのは、実際の所とても少ない。濃密な地域社会が存在すると思われる山間部とはいえ、いろいろな意味でわたしの暮らしはそれと隔離された環境にある。それを苦に思う人もきっと多いのだろうと思うが、もともとコミュニケーションが苦手で社会ともうまくやれないタイプのわたしとしては、こんな天国はないのだった。いつまでもこの状態に甘んじているわけにはいかないとは思うが、それが急激に訪れなかったことは、わたしの精神衛生上、非常に良かったと思う。わたしがわたしであるかぎり、なにも変わらない。わたしがわたしでいることを許されているかぎり、どこでだって楽しく生きていけると、思える日々を送っている。

 大阪からここに来て、今まで、自分が見てきたもの、無意識に、当たり前だと思ってきたことが、全くそうではないということに気付く度に、とてもうれしくなる。大阪で生まれ大阪で育ち大阪から大学に通い大阪の会社に就職して、と、全く起伏のない穏やかな人生を歩んでいると、自分の認知できる世界の限界をとても感じる。本を読んだり新聞を読んだりして得た情報は、しばしば理解の埒外にあり、ただそれを、理解できないと否定的に切り捨ててしまうことは、しないようにと思っていた。よく解らんけど、そういうこともあるんだろうとか、よく解らんけど、何か理由があってこうなってるんだろうとか、自分の認知の及ばない世界について、できるかぎり敬意をもち、安易な理解や判断を下してしまわないように気を付けていた(つもりである)。そういった、保留し続けてきた様々なことが「ああ、こういうことか」と腑に落ちる瞬間のあのよろこび。自分で自分の人生に伏線をはるのだ。いつかそれを回収できる自分を信じて。
自分の認知と理解と想像の限界に無自覚になりたくない。その埒外のすべてに敬意をわすれたくない。ここで暮らしようになって、改めてそう思う。


 ここはとても良いところ。思うこと感じること、文章にしたいことはたくさんあるのだが、細々家の中のことをしたり、教習所に通ったり、なんやかんやしていると、まだ時間の使い方がヘタなのもあってなかなか上手く時間がとれない。この短い文章も、結局書き始めてから2カ月くらい経っている。教習所、今月中には終わる予定なので(注:希望)、また書いていきたいと思っている。きっと、1年先、2年先、もっと先に、読み返して思い出したいことが、たくさんある。

クッキー2種

諸事情からバター使わないクッキーというものを作ってみようと思い立って作ったのでレシピをメモ。

オリーブのクッキー

  • 小麦粉:70g
  • 全粒粉:70g
  • オリーブオイル:50g
  • 塩漬けオリーブ:適量
  • 豆乳:適量

粉を合わせてふるって、オリーブオイルの中に入れてサックリ混ぜて、塩漬けオリーブをフードプロセッサーで粗く潰したやつを入れて、まとまらなさそうなら豆乳少し入れて調整して、ひとつにまとめたらラップに包んで冷蔵庫で少し寝かせ、伸ばして切って焼きましょう。170度25分くらい。焼き時間は目視で調整。

お菓子というよりワインのアテみたいな気分で作った。オリーブオイルの香りが結構残るのでお菓子っぽくするのは難しいかも。具材は干しトマトとかアンチョビでもおいしそうね。乳製品云々考えなければ多分粉チーズとかチーズ系が最強だと思う。全粒粉初めて使ったけど、ああこういう感じになるのね!と感動。大変好きな食感でした。でもふるう時、目に詰まるので異様に労力いる。一連の作業で握力鍛えられた気がする。

ココナツオイルのクッキー

  • 小麦粉:70g
  • 全粒粉:30g
  • 砂糖:15g
  • ココナツオイル:25g
  • ラム酒漬けレーズン:適量
  • 豆乳:適量

ココナツオイルは湯せんで液状に。レーズンはフードプロセッサーで潰すか包丁で刻む。あとはオリーブのと同じく、ココナツオイルに粉どばー、レーズン加えて混ぜてまとめて冷蔵庫。ココナツオイルは低温で固まるため、冷蔵庫入れると結構生地がしっかりかたくなる。伸ばして型抜きしても良いと思うが、今回は冷蔵庫入れる前に棒状に伸ばしておいて、固まったところを輪切りに。こちらも170度25分くらい。

こちらは普通にお菓子系クッキー。レーズンの甘さがあるので砂糖自体はだいぶ控えめ。ココナツオイルもやっぱりココナツの香りが残るので、何かいれるならそれに合わせた方が無難。普通に細く切ったココナッツでも良いよな。それなら砂糖もうちょい入れた方が良いと思うけど。後はなんだろ、やっぱりドライフルーツ系かなあ。あ、チョコレートでもいいね多分。


分量はどちらも、試行錯誤した結果のベストではなく単にやってみた分量でしかないので、あまり気にしないで良いと思う。小麦粉と全粒粉の割合もお好みで。だいたい油と粉合わせて「ああこれクッキー生地の硬さだな〜」て思うくらいの硬さになるように調整したらいいんじゃないかな!このやり方でできるのは、オリーブオイルの方はサックリとホロホロの間、少しサックリ寄りの食感のクッキー、ココナツオイルの方は結構硬めの噛み応えある系のクッキーです。

とりあえず油と粉合わせて焼いたらクッキー的なものはできるのが解ったので、次はごま油あたりでやってみようか。七味でも入れて。もはや何が何だか!

カボチャの種を剥きながら考えたこと

 外皮の白いきれいなカボチャをいただいた。カボチャと言えば、あの鬼のようにかたい皮と実を包丁が突き抜けたときのサックリとした手応え、割るとあらわれるてらいのない鮮やかな黄色。それが好きで、一人暮らしなのにどうもカットカボチャを買う気になれない。包丁を突き立てる、戦いのような気分も好きだ。ときどき硬さに負けそうにもなるが、まだ負けたことはない。今回も、なんとか戦いに勝利し、焼いたり蒸したりして食べていたのだけど、やわらかな黄色いわたにくるまれた種がまたとてもきれいなオフホワイトで、気まぐれに取り出してみたら、そのままなにかあらかじめ決められていたかのように、頭の中に浮かんだ深い黄緑色。パンプキンシードを作りを始めてしまったのだった。ボウルの中で種を泳がせぬめりを軽くとり、陽の光が入る床に新聞紙を広げ、水気を取ったたねをばらまいた。それがたしかいつかの夜、寝る前のこと。

 カボチャの種は一晩乾かした後、実家に持って帰ってフライパンで軽く炒った。そのままポリポリ食べても美味しかったのだけど、どうしても前の晩に思い浮かんだパンプキンシードの深い黄緑色が頭から離れなくて、種の殻を割る作業を始めてしまった。種は、わたしの人差し指の爪ほどの大きさで、割ると中には思い描いていた通りの濃厚なグリーン。カボチャの持つ色彩というのは、どうしてこんなにきれいなんだろう。台所に置いてある脚立に腰掛けて作業をする。最初は、炒ったときに割れたところから剥いて、割れていないものは爪を差し入れてこじ開けて。半分くらい終わったあたりで、そうだキッチンばさみを使おうと思い立ち、種の側面を割るようにハサミを入れて更に半分。端っこを細く切り落とした方が早いと気付いたのはもう残りわずかになってからだった。ひとつ分のカボチャから取れた種を全て剥くのに、2時間かかった。同時進行で黒豆をたいていたのだが、3時間かかるのか、退屈だなと思っていたのにカボチャの種剥き終えた頃には黒豆も良い具合に仕上がっていた。できあがったのは、カップで言うと30ccくらい。ほんのわずかなパンプキンシード。少しくすんだきれいなグリーン。

 多分、検索すればパンプキンシードの楽な作り方、むき方なんてすぐ出てくるのだろう。だけど、わたしはそれをしたくなかった。

 最近とみに思うのは、わたしはすべてを経験したいのだということ。人の失敗に学ぶのではなく、自分の失敗に学びたいのだということ。いろんなことに関して、楽な方法や効率の良い方法があるのは承知している。だけどわたしは、楽じゃない方法、非効率的な方法を通った後で、それらを知りたいし、できることなら人に与えられるのではなく自分で気付きたい。そうでないと、その楽・効率的なやり方の本当の価値すら、解らないのではないかと思うのだが、そうではないのだろうか。カボチャの種を2時間剥き続け、わたしは両手の親指の指先を完全に痛めた。爪と肉が離れて、特に右手の親指は何をしても痛いという状況が1週間ほど続いている。日に何度も痛さに呻いていた。ビールのプルトップも親指使って開けられない。だけどわたしは後悔していない。種をむき終わった頃母が帰ってきて、わたしもそれ昔やったことあるわ、二度としないと思ったわ、でもあんた、せんときてゆうてもしたかったらするやろ、と言って、ああ本当にその通りだなあと思った。誰かが人に「せんとき」と言うに至ったその道を、わたしも歩んでから「そうか、せんでよかったな」と思いたい。そこから得るものは、人がそこから得るものと同一ではないだろう。わたし自身がその道を歩まない限り、わたしがそれを得ることがないのだと思うと、大変勿体なく思う。先達の言葉は重く大切ではあるし、わたしはそれを真摯に聞くだろう。だけどそれを本当に自分のものとするには、同じ道を歩まねばならないのではないか。

 ここまでを要約すると、わたしは人の失敗や経験に学ぶことができないバカであるということだが、でもわたしはたぶん、色んな可能性を頭の中に展開させながら生きていて、ということは、そういう失敗や誤りを多分だけど、考慮に入れることはできているのではないかと思う。それがわたしにとっての「先達の言葉を真摯に聞く」ということだ。先を見越して先手を打つのはとても大切だと思う。それで守られるものがある、きっと。だけどわたしは、許されるならば回り道をしたい。落とし穴に落ちたいしそこから見える景色をこの目で見たい。そこから得るものを捨てたくはない。そして、回り道ができるほど、自分の心に生活に余裕があって、それを許してくれる人や環境があることが、わたしにとっての豊かな暮らしなのだろうと思う。

 カボチャの種を2時間剥き続けて学んだこと。蟹の殻を剥く労力と剥いて得られる利は釣り合っているが、カボチャの種を剥く労力とそこから得られるものはあまりにも釣り合わない。食べるなら剥かずに食べよう。剥かずに食べられるくらいしっかり炒ろう。ぱりぱりして美味しいので、洗って炒るくらいの労力には釣り合う。あとカボチャって、とてもきれい。

8月読んだ本まとめ

さすがに前の話なので感想がかなり雑ですがご容赦下さい。

「空腹」が人を健康にする

「空腹」が人を健康にする

南雲先生の本もう1冊読んだことあるけど、そちらより内容が濃く普通におもしろかった。いろいろ、ん?と思う部分はあるにせよ、わたしは専門家ではないので何とも言えないが、おおむね、へえ〜そうなんですね、と思いながら読了。

東京下町殺人暮色 (光文社文庫)

東京下町殺人暮色 (光文社文庫)

昔持ってたけどいつの間にやら見かけなくなって、多分どっか古本屋で買い直したのだろう。宮部みゆきの書くティーン男子というのは、全体的に理想化がすごくてかなり非現実的なのだが、それがイイ!と思う場合と、違和感だけが先行してウーンと思ってしまう場合があって、この本はどちらかというと後者であり、こんな子どもおらんだろ…という思いが読んでる間中つきまといながらも、それでもそれなりにおもしろいので凄いと思う。

考え方として決して間違っていると感じる訳ではないし、そうなんだろうねと思う部分もあるのだけど、どうにもこうにも表現が受け付けないところが色々あり、なんとも気持ちの置き所が見つからない本であった。わたしが引っかかっているのは枝葉末節なのだろうが、なんだかどうにも、わたしは文系女子の割にこういう文脈の言語が受け入れられないのはなぜだ。

アウトローだった。

梅棹忠夫語る 日経プレミアシリーズ

梅棹忠夫語る 日経プレミアシリーズ

梅棹先生そんなによく知らないので、こういう人だったのか!と驚きながら楽しく読んだ。なんか妙に印象に残ってるのは、ローマ字でノート書いてたくだりである。全然関係ないけど、わたしはなぜか自分が書いてるメモとかノートを人に見られるのが物凄い嫌で、なにかメモとってるときに人に覗き込まれる(ような挙動をされる)と、別に変なこと書いていた訳でなくても、ばたんと閉じて隠したくなるくらいで、大人なのでそこまでしないが、さりげなく手で覆おうとするくらいはしてしまう。どうにか見られることの嫌悪感を軽減できないかと思い、速記文字を勉強しようかと真剣に考えたこともあるが、とりあえず今は、読めないような汚い字で書く、という、ほぼ素じゃないかそれ、という手段で乗り切り生きている。ローマ字で書けば良いのかな。正直ほんとオリジナルの文字とか発明したいくらい。あとその関係でか、他者が書いたメモとかノートをそのまま見せられても結構戸惑ってしまい、え?見て良いの?見せて大丈夫なの?と目が泳ぎがち。なんでなんだろうなあ。そんなイケナイこと書いてるつもりもないし、書いてきた記憶もないんだけど。

夢へのレクイエム

夢へのレクイエム

これはこちらにもう十二分に書きました。

欲望

 たとえば、という書き出しが好きだ。何を何にたとえるのか定かでないまま、今日はなぜだか頭の中でずっと、たとえば、という出だしがうずまいていた。たとえば、の後は続かない。思考は一旦霧散して、そのあとまたどろりとした水底から気泡がうかびあがるように、たとえば、が浮かんでは胡乱にはじける。多分なにかを伝えたかったり、なにかを表現したかったり、そういうあてどない、中身もないぼんやりとした衝動が、たとえば、につながっているのだ、と思ったので、ひさしぶりに日記を書く。

 どう考えてみても、仕事というのが生きがいになり得なくて、それは多分いまの会社がどうとかいう問題ではなく、自分の本質的な問題で、なんのために生きているのかというと、それは自分のやりたいことを心置きなくやるためで、仕事というのは、その「心置きなく」という部分にしか意味をなさない。就職できなくて苦しかったころ、なにが苦しかったというと、どんな楽しそうなことをしても「心置きなく」という部分がなかったことだ。それは、内面的なものでもあったし、外的圧力でもあった。音楽を聴く、ライブに行く、美術館に行く、本を読む、そういった自分の娯楽全般について、気晴らしになるかと何をしてみても、こんなことしてる場合じゃないのに、と自分が自分を苛む。また母も、そんなことしてる場合じゃないでしょと悪態をつき苛む。あの頃は、どんなに楽しげな会話をしても、出口はそれだった。ような気がする。こんなことをしている場合じゃない、じゃあなにをする場合なのか、それは就活だ。だけども、就活という行為に向かって前進するには、希望が必要だったのだ。エネルギーとなり得る充足が必要だったのだ。そのどちらも無かった。無理だ、もう駄目だ、という言葉だけがぐるぐると頭を占めて、やるべきことを出来ず、かといってやるべきでないことも出来ず。自分で気持ちを上向きにさせるために楽しみにすがっても、それだけ必死にすがっても、なにもかも砂を食むようだった。色彩も味もなかった。そんな人生を生きる意味はないとその時思ったし、今でもそう思う。楽しむべきことをそうやって楽しめないという状況が、わたしにとっては地獄に等しいということを、そのとき知った。結局のところ、わたしはストイックにはなりきれなくて、努力とか、成長とか、そんなことは「心置きなく」の否応なしの手段でしかなく、目的にはなり得ない。「たのしい」「うれしい」「きもちいい」というそれだけが、その充足が、多分わたしの生きる理由なのだ。

うつくしいものを見、手を動かしてなにかをつくり、感覚と感性を研ぎ澄まし、今いる外界のすべてを自分の内なる世界と相対させて、その反応すべてを感じ取って、そして誰かに存在を肯定されて、そうやって生きていきたいと思う。それらの幸福を日々思いながら。

 いま、わたしがやりたいこと。
 何かをつくる。終わりのない刺繍。麻布でスカートを作る。糸を染めて布を織る。FIQ辺りで見繕ったうつくしい布で玄関のごみ置き場を隠すのれんを作る。うつくしい模様を模写する。あてどなく絵を描く。来年の年賀状をデザインする。コーンフレークの入った硬いクッキーを焼く。小松菜とリンゴとオリーブオイルでケーキを焼く。玉葱とパプリカとベーコンでキッシュを焼く。ケークサレでもいい。果物を煮る。煮林檎がいいな。シナモンを効かせて。トーストに乗せて食べよう。羊にさわる。馬に乗る。外乗がしたい。牛の湿った鼻をさわる。澄んだ川で泳ぐ。岩をひっくり返して慌てて逃げ出す虫を見る。ペットボトルの罠を仕掛けて翌朝魚かかってるか見に行く。磯を歩く。延々と。気まぐれに泳ぐ。濃密な生命の気配を感じながら波に身を任せてぼんやりと漂う。海綿や、カメノテや、イソギンチャクや、そういった無脊椎動物の造形のうつくしさを堪能する。海岸を歩いてシーグラスやイソギンチャクの殻やカシパンの殻や貝殻を拾う。山を歩く。湿った土を踏む。文字を書く。もう始めてから1年以上になるレイ・ブラッドベリの「塵よりよみがえり」の文庫版と原書の書き写し。読んだ本で印象深かった部分を写真撮って残してあるのだけど、それを打ち込んで公開制限つきのblogにする。ソファに寝転がってゆったりとレコードを聴く。宇宙船レッド・ドワーフ号のDVDをいちから見る。字幕と吹き替え交互に。空堀商店街を散歩する。古本屋に行く。大阪城公園を日本三文オペラ的遺物を求め徘徊する。24時までやっているというサンサリテに夜も更けてからパン買いに散歩する。静岡行って芹沢硑介美術館の休憩スペースで心置きなくぼんやりする。駿府城の公園を散歩してレコード屋でなにか中古レコード見繕ってキルフェボンでタルト食べる。掛川花鳥園エミューに追いかけられながら餌やる。手を噛まれながらアヒルに餌やる。そんで資生堂アートハウスまで歩いて今度こそちゃんと展示見よう。ああとにかく静岡に行きたいな。あそこはとても落ち着く。あとどこ行きたいかな。高知の藁工ミュージアム。滋賀のMIHO MUSEUM。千葉の川村記念美術館。埼玉の河鍋暁斎美術館。東京の森美術館。野田のビッグビーンズ。淀川の湾処。大正区を自転車で走って千島の渡し船で対岸に渡る。渡らなくてもそのまま河口へ下ってもいい。あのあたりの景色すごく好きだ。写真に撮りたい。とても。川の写真をたくさん撮りたい。誰かと夜の公園で静かにビールを飲む。夜も遅ければ遅いほど良い。真夜中の真っ直ぐな道路の真ん中で、心細さとあてどない不安をもてあそぶ。点滅を繰り返す信号機に心をぞわぞわさせる。べろんべろんになるまで飲んで死んだようにねむる。不健全な眠り方をした翌朝の、重力が何倍にもなったような身体の重さを感じたい。

 そういった、なんてことのない欲望が、わたしを生かしている。