結婚して、大鹿村というところで暮らし始めた

 長野県の南の方の、山の奥にあるちいさな村だ。
 生まれてから29年、大阪のまんなかで暮らしてきたわたしにとって、大きな環境の変化だが、実際のところ外から思うほど、ストレスを感じているとか、戸惑っているとか、困っているとか、そういうことはあまりない。知らないこと、わからないことはたくさんあって、新鮮なこともたくさんあって、でもなにもかも結局のところ、今までの暮らしと地続きであることに、自分でも驚いている。無いなら無いなりの暮らしがあり、それらの制限は刺激でもあり、街や人を眺めて楽しいように、家の近くの草藪や山の草木を眺めるのは楽しい。環境が変わるのいうのは、家や、町や、生活様式や、色々関係する物事はあるのだろうが、多分その中でも大きな位置を占めるのは人間関係であり社会との関わり方であるようにわたしは感じる。その点で、わたしの環境の変化というのは、実際の所とても少ない。濃密な地域社会が存在すると思われる山間部とはいえ、いろいろな意味でわたしの暮らしはそれと隔離された環境にある。それを苦に思う人もきっと多いのだろうと思うが、もともとコミュニケーションが苦手で社会ともうまくやれないタイプのわたしとしては、こんな天国はないのだった。いつまでもこの状態に甘んじているわけにはいかないとは思うが、それが急激に訪れなかったことは、わたしの精神衛生上、非常に良かったと思う。わたしがわたしであるかぎり、なにも変わらない。わたしがわたしでいることを許されているかぎり、どこでだって楽しく生きていけると、思える日々を送っている。

 大阪からここに来て、今まで、自分が見てきたもの、無意識に、当たり前だと思ってきたことが、全くそうではないということに気付く度に、とてもうれしくなる。大阪で生まれ大阪で育ち大阪から大学に通い大阪の会社に就職して、と、全く起伏のない穏やかな人生を歩んでいると、自分の認知できる世界の限界をとても感じる。本を読んだり新聞を読んだりして得た情報は、しばしば理解の埒外にあり、ただそれを、理解できないと否定的に切り捨ててしまうことは、しないようにと思っていた。よく解らんけど、そういうこともあるんだろうとか、よく解らんけど、何か理由があってこうなってるんだろうとか、自分の認知の及ばない世界について、できるかぎり敬意をもち、安易な理解や判断を下してしまわないように気を付けていた(つもりである)。そういった、保留し続けてきた様々なことが「ああ、こういうことか」と腑に落ちる瞬間のあのよろこび。自分で自分の人生に伏線をはるのだ。いつかそれを回収できる自分を信じて。
自分の認知と理解と想像の限界に無自覚になりたくない。その埒外のすべてに敬意をわすれたくない。ここで暮らしようになって、改めてそう思う。


 ここはとても良いところ。思うこと感じること、文章にしたいことはたくさんあるのだが、細々家の中のことをしたり、教習所に通ったり、なんやかんやしていると、まだ時間の使い方がヘタなのもあってなかなか上手く時間がとれない。この短い文章も、結局書き始めてから2カ月くらい経っている。教習所、今月中には終わる予定なので(注:希望)、また書いていきたいと思っている。きっと、1年先、2年先、もっと先に、読み返して思い出したいことが、たくさんある。