大阪ミナミの花街民俗史

 「大和屋物語−大阪ミナミの花街民俗史」読了。2003年まで営業していたミナミの老舗料理茶屋の歴史をまとめた本で、筆者が民俗学者であるがためか、民俗学的考察が随所随所にはさまれ大変おもしろかった。茶屋というものが、ただの遊興の場というわけではなく、大阪の文化に深く深く食い込んだ、重要なファクターであったことがとてもよくわかった。大和屋は、芸妓を抱えた料理茶屋で、料理も自分の店で板前を抱えて作っていたそうだ。口絵に載っている季節の料理の美しいこと。芸妓の養成所を作ったり、様々な行事を積極的に創設したりと、店だけでなくミナミ全体の盛り上げに尽力していたよう。本の中で描かれている茶屋文化は、本当に粋で、大店の主人たちが、旦那として、その経済的豊かさにふさわしい振る舞い、文化というものへの責任を、大層自覚的に背負っていたのだということを非常に尊く感じる。そういう精神こそが、舞踊や歌舞伎や文楽といった上方の文化、それによって誰かの腹がふくれるわけでもなく家が建つわけでもなく誰かの病気が治るわけでもなく何かが生産されるわけでもない、ただ人と人とを繋ぎ、人の精神を磨き、人の心を豊かにする、それだけの「文化」を、守り育んできたのだ。文化は、税金でのみ守られるものではないと思うし、かといって一般庶民の財布でどうこうできるものでもないし(また、できる規模のものにするべきだとも思わない)、ただそれを守り育てる価値を知る富めるものが、どうか居続けて欲しいと願うばかりだ。
わたしが生まれ育った堀江も、そのお隣の新町も、かつては花街として栄え、大和屋があった南地と北新地と、堀江と新町が大阪の主要な花街だった。母が小さい頃まだ新町あたりはそういう街だったと聞くが、当時そこにいたのが芸妓だったのか娼妓だったのかわたしはよく知らないし、茶屋とかそういうお店の名前の区別も色々ありすぎてよく解らんし、春を売るのか芸を売るのかって結構大きな違いの割に誰も明確に説明してくれないなぁと思っていたのだけど、読んでいると、大阪の花街は特に様々な形態の店があり、大阪の土地柄による性分か、実際いろいろ曖昧だったようだと書かれていて、ああそうなのかァと少しすっきりした(江戸時代とかはまたちゃうやろけどな)。西区、というか堀江の歴史とか一度ちゃんと勉強したい。多分とてもおもしろい。時々そういう講座の案内を見かけることもあるが、大抵平日真っ昼間という勤め人が来ることを全く想定してない時間設定なので、困ってしまう。